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北海道発・わっちさんの宝塚な日々

おさちゃん誕生日・思い出す昨年

れおん
これもえがったねー。

おさちゃん、誕生日おめでとうございます
昨年の幸せだったFCのバースデーイベントを思い出します・・・涙。


●ミニエッセー857「励ましの言葉というもの」
秋に、転職を目指すことを宣言して以来ことさら、家族や友人や事情を知る職場の仲間に励ましの言葉をいただくことが多くなった。直接でも、メールでも、手紙でも、このブログのコメント、拍手コメントなどでも、その一つひとつが胸に染み、うれしくて涙が出る。
たった一言「頑張って」「わっちさんならやれるよ」「応援してます」でも、こんなにも励ましの言葉をありがたく、心強く感じたことは今までなかった。かえって、いろいろと言うとプレッシャーになるだろうからと、さり気なく言葉を掛けてくれているのも感じる。逆に、下手に言わないほうがいいと思ってくれている人がいることも知っている。
そして、その一つひとつを勇気に変えて進むことができる。目には見えない「励まし」―皆さんからの温かい気持ちの力は本当に大きく、私の背中を押してくれている。毎日だ。
また、たとえ言葉を発しなくても、存在だけ、態度だけでも見守ってくれていることが分かる遠くの方や近くの方もいて、それもとてもうれしいことだ。父などは、口に出して「がんばれよ」などとは決して言わないが、店舗準備を淡々と手伝ってくれている。「どういうお客さんが来る予定なのか」などと、気に掛けてくれている。
一番近い人が最も、前向きより後ろ向き発言が多いのがおもしろい。「本当に大丈夫なのか」・・・主人のことだ。必死に商材の仕分けなどをしていても、「一体、何をしているのか」ときたもんだ。主人の目には、私が不器用にただもがいているだけにしか映らないようだ。
だが、前にも書いたが、それが帰って励みになるから不思議だ。いつか、あっと言わせてやろうと思うのだ。
こうして、優しさと厳しさをバランスよく受けている気がする。
ふと、自分も周囲の人たちを励ましてあげているだろうか、また存在が励ましになっているだろうかと内省する。人様から勇気をいただいているばかりではいけない、自分も誰かの勇気にならなくてはいけないと思っている。
だが、何も大げさな言葉や態度でなくても気持ちが伝われば十分なのだなと、皆さんからの励ましを受けて気付いた。大仰な言葉や気負って特別に何かをしなくても、ちょっとした一言、笑顔や元気に話す、握手する、合図するなどの態度でも、相手に思いが伝われば、そして受け取ってもらえればいい。
そういう意味では、コミュニケーションツールの一つとしてのメールでの顔文字や絵文字は、万人に気持ちが伝わりやすくていいものだ。私は笑顔を向けるのが苦手なので、メールではニコニコマークで攻める(笑い)。
意識して「励ましの言葉」を考えるようになった。それはどんな表現であれ、声を掛ける、メールを送る、手紙を書く相手を思う愛、気持ちを込めることが大事だなと、あらためて思っている。
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