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北海道発・わっちさんの宝塚な日々

スーザン先行申込

とったどげむ
温泉のゲームで取ったもの。わっち、UFOキャッチャー名人?

来年1月からのクリエでの『スーザンを探して』。マミさんFCの先行予約に申込みをしました。
OKだといいなぁ。


●ミニエッセー776「ヅカノート2008夏より16・ソロモンの指輪を観て」
ネタばれに注意いただきたい。
30分ほどで終わってしまうというショー。実際にショー終演後、時計を見たら33分だった。
それからすぐトイレへ行ってしまって大失敗。2幕の終了まで2時間半もあるではないか。トイレが近いほうではないので我慢はできたが、それでもフィナーレ前にはなんとなく落ち着かなくなってしまった。
懸念したとおり、特に高齢の観客が、芝居のラストの良いとこらへんでぽつりぽつり席を立ち、堂々とトイレに行って戻ってくるという光景が見られ、興ざめだった。
ショーが先でも悪くはないが、人間の生理に配慮できていない今回の構成には疑問符が浮かぶ。
ということで、荻田浩一先生の座付き演出家としての宝塚最後の作品がなぜにこんなに短いのか―相変わらず、ショーの場面ごとの「切れ間」が嫌なのか、流れるような作り方で、いわゆる「ザ・宝塚」的でない終わり方だったが、それがもう少し工夫されていたらせめて40分はできたのではないか。
荻田先生が退団される理由の一端を垣間見たような気がした。
先生の描きたいこだわりの世界と宝塚歌劇としての制約が折り合わないのかもしれない。
昨日記事でも書いたように、私は「宝塚」というフレームで楽しむ分としては、荻田先生のつくる手塚治虫的・ブラックジャック的(必ずショーにブラックジャックに登場する実際は少女という年齢じゃないのにビジュアルが少女のピノコっぽい女性が登場するという意味で)な世界が苦手なほうだ。
それをはみ出すのは、許容範囲なら効果的だが、いつも微妙にオーバーしているように思える。それがだめというのではない。決して先生の個性を否定するわけではなく、それは宝塚でなくても、ほかの世界でも表現できるかもしれないと思うのだ。
先生の作品の作り方は映像的である。映画的でもある。40歳以上の方で特に映画やテレビに造詣が深い場合、荻田先生が古き良き時代の洋画や日本のアニメの雰囲気へのリスペクトによって宝塚の舞台を創造していることが分かるだろう。
今回も例外ではなかった。どうも新鮮に映らないのだ。そして、しっかり説明書きなどを見なければ、何を表したいのか、全体的に抽象的すぎてうなってしまう。
また、主要生徒を同じフレームにたくさん出しすぎてポイントがなく、特にひいきがいない観客は目も頭もぐるぐると回り、混乱する。
せっかく楽しみに来ているのに、いろいろと考えなければならないのは疲れる。それぞれの感性で想像力を働かせるということももちろん必要で、それで楽しめるのならいい。しかし、あまりに洪水すぎる。
リピーターは多いが、1回しか観ない観客もいる。荻田先生のパターンをよく分かっていない人もいる。何回も見ないと楽しめないようでは、お金を取る商業演劇としては適さない。
衣装やセットはまあまあ良かった。ところが、歌がまったく耳にすっと入ってこなく、今もちょっとも思い出せない。誰がよく歌っていたか、よく踊っていたかは分かるが・・・。
水夏希さんは、あと一歩で充実期だなという気がする。とにかくかっこいい。そして、ゆみこちゃんこと彩吹真央さんも素敵だった。白羽ゆりちゃんはひたすらきれいだ。いつも生きのいい音月桂ちゃんが一層使われていた。金髪がまぶしい凰稀かなめちゃんは、もっと前に出てもいい気がした。
―と、ヅカノートには生徒のことしか書けなかった。席が下手だったので、もしセンターから見たらまた見え方が違っていたのだろうか。動物や植物の声とやらが聞こえたのだろうか・・・。
舞台ではある程度そのキャパ・後ろの観客などのことを考え、ポイントを絞り、雰囲気として大きく見せていくことも必要だ。あまり細かくこだわりすぎると、「今、何が行われているんだろう・・・」と観客が取り残される。かなり前で見ても、ちょっとそんな寂しさが残った作品だった。
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