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北海道発・わっちさんの宝塚な日々

わたるさん、お疲れ様

北海道地方嵐の中、東京へ日帰りで星組を観に行ってきました。
私にとって、わたるさんとのお別れの日となりました。男くさい男役で、舞台スピリットが素敵な人でした。
昨年の北海道公演も忘れられません。
どこかで観たような芝居でしたが「愛するには短かすぎる」、笑いも満載で面白かったです。ショー「ネオダンディズム」は、もともと岡田先生が好きなので、美しく、切なく、良かったです。
わたるさん、お疲れ様でした。
わっちさんも・・・笑。
昨日の「地球見聞録」、何度もおさちゃんの歌声が流れてうれしかった!!


●ミニエッセー58「“ファントム”の魅力4」
東京2006年10月1日千秋楽
12列のセンターは見やすすぎだった。幕開きから泣きそうになってしまった。そして、前楽であんなに泣いたから、楽で号泣するとは自分でも思っていなかった。
後半はずっと涙声で、本公演最後の共演をかみしめていたおさちゃんとゆみこちゃん。
フィナーレは最初から最後まで、おさちゃんも私も涙。もう花組「ファントム」を観ることができないということ。そして、みんなへの感謝で、とめどもなくあふれた。
みわっちが「園加」と叫び、涙をこらえて踊っていた園加ちゃん。やはり男役総踊りでも泣き顔で、最後は大泣きだったゆみこちゃん。珍しく、パレードさえも涙声だったおさちゃんに涙は引くわけがない。
強がって見えたけれど、やっぱりおさちゃんは仲間が去るのがつらかったのだ。素のおさちゃん。トップらしいとは言えない、よれよれぎみのあいさつだったけれど、飾らず計算のないかわいいあなたが、大好きなのだ、私たちファンは。退団する3人に対してもすごく泣き顔だった。
いつか放送になるかもしれないが、この日のことは一生心のディスクに残り、忘れないだろう。村の初日から今までの自分の涙の一つひとつの意味も忘れない。
「ファントム」―素晴らしい作品だった。ありがとう、おさちゃん、花組のみんな、そしてタキさん。本当に本当にお疲れ様でした。
最後の出待ち。また涙雨になった。でも、あまりひどくならず、楽しくできた。
そして、ホテルでやっと涙が乾いたころ、おさちゃんからの配信メール
メッセージが。疲れているのに、われわれへ気持ちを向けてくれて、ハートマークまで付けてくれてありがとう。大好きだよ!
こうして、私の夏が終わってしまった。

ノートを見返すと、最初は点数を付けるためにもなるべく冷静に観ようと努めるが、結局はファンモード全開になるかわいいわっちさんが見て取れる。
さて、そもそも「ファントム」とは何だろう。辞書を引くと、「幻」「幽霊」「お化け」「幻覚」「幻影」「幻想」・・・などと出てくる。舞台でも「幽霊にとりつかれている」「幽霊を信じるかな」というセリフがある。
エリックは、自分が「幽霊」と恐れられていることに対し、仕方ないとあきらめも感じているだろうし、半ば都合の良い隠れ蓑にもしているし、どこかで楽しんでいるような部分もある。それでいて、やはり暗い地下以外の明るい世界にあこがれを抱いている。
「幽霊」と見ている周囲にとっては実態が不明で、純粋なゆえにあやうく、どこか怪奇で、だからこそ何か魅力的な存在という点では死の国の帝王トートと共通するように思えるが、ファントムは紛れもなくわれわれと同じ人間なのである。もし、顔に傷さえなければ、恵まれた家庭ではなかったにしろ、懸命に生き、もしかしたら歌手として名をはせたであろう一人の青年だ。
それゆえに、観客は彼の心に潜むさまざまな嘆き、憎しみ、苦しみ、寂しさ、肉親の愛や美へのあこがれなどが嫌というほど理解できてしまう。
考えてみれば、それらは誰もが大なり小なり持っている普通の感情だ。究極の「見た目の美しさの喪失」として、顔の傷に象徴されている人間の弱点・弱み・心の闇も必ず人それぞれが抱えているものだ。
情報が氾濫する社会の波にもまれ、いつしか嘘を覚え、誤魔化したり、ずるさを身につけ、計算するようになっているわれわれよりも、ずっとオペラ座で上質な芸術に触れ続け、たくさんの書物によって想像力豊かで、とにかく純粋なエリックの方が美しい人間だと思う。
また、自分をこの世に送り出してくれた親への感謝や無償の愛に甘えること、恋しいと思うことも、大人になれば気恥ずかしいものだが、大切なことだとエリックが教えてくれる。人は肉親のぬくもりによって豊かに成長していくものだ。
親もまた、どんな障害があろうとも自分の子供は掛け値なしに愛おしく、美ととらえ、守り抜こうと全身全霊をささげる。エリックの母ベラドーヴァは、自分の子供の顔の傷を醜いとは感じていない。愛する人と結ばれないショックから妊娠中に薬物を使用し、精神を病んでいたからである。しかし、彼女にとってエリックは本当に天使であり、宝物だった。子供のいない私にも、その気持ちは宿っている。
現代を見渡してみよう。親が子を、子が親をたやすく殺す時代になってしまった。誰がただひたすらわが子を愛したエリックの母をおかしいと言えよう。そんな母の愛を求め続けるエリックを責められようか。
終盤で父だと名乗ることができたジェラルド。彼もまた悔恨と葛藤に揺れながらも、わが子を心から愛していた。
エリックは強く両親に愛され、守られていた。春野エリックに孤独感が足りないという声があったが、おさちゃんは最初から「実は何か温かいものに守られていると何となく感じ続けていたエリック」を演じるようにしていたのだから、寂しさはあっても孤独感がないというのは、当然だ。「証もなく信じていた。あなたが僕の父親と・・・」なのだから。
エリックの最期に、母の面影を見たクリスへの思いも通じる。その幸せがどんなに短い時間だったにしても、それですべての苦しみから解き放たれ、エリックがクリスに抱かれて穏やかに死んでいけたのが本人にとっても、とどめをさした(撃った)父にとっても、観客にとっても救いだ。
クリスも、音楽を愛する限り、尊敬すべき先生、そしてかわいらしい子供のようだったエリックは、自分の心に生き続ける。いつまでも泣いていられない、前を向かなければ・・・と気付く。
「ファントム」は哀しい物語ではあるけれども、優しさと愛に満ちあふれ、私にとっては魂が救われ、観るたびに毎回どんどん浄化される不思議な力を持った作品だった。(続く)




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