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北海道発・わっちさんの宝塚な日々

予約・予約・予約

おさおさ


この写真は、先日のおさちゃんのお茶会で参加者に配られた物の中から、OSA・OSAとかたどられたオリジナルクッキーです。
もう食べちゃった。とってもおいしかったです。
今日は危なく忘れるところだった11月末の旅の飛行機を予約。
それからマミさんがCDを発売することになり、FCでの先行予約を。
ついでに宙組のチケット、主人の分もゲット。
観劇がなくても毎日ヅカってるよなぁ、わっちさんは。


●ミニエッセー47「わっちさんのこと2・性格その1」
私は、人見知りな方だ。
そう言うと、私の周囲の人は必ず「ご冗談を。何事にも積極的で、誰とでもよくしゃべり、いつも明るくて元気はつらつじゃん」と笑う。
家族は40代のこの私をつかまえて「無邪気で天真爛漫」とも言う。
しかし、それは、慣れて仲良くなった人たちの前だからであって、基本的に人と接するのは苦手だ。ノートと語っている方がずっと楽しい。
仕事であれば仕方ないので意を決して、無理にテンションを上げて頑張るが、ほかの場面ではまるでだめだ。
例えば、知らない人同士で集まるようなところで、どんなに同じ立場の仲間であったとしても、あいさつ以外は、なかなか自分から話し掛けることができない。
もし話し掛けられれば答えるが、話が盛り上がったところで「ぜひまた会いましょう」とか「友達になりましょう」ということには、なかなかならない。
話さないで済むなら全く話さない方が楽なのだ。
忙しいし、付き合いがわずらわしいから、友達を今以上広げたくないという意識的な部分もある。しかし、それよりも大きな原因がある。
私は「別れ恐怖症」なのである。
せっかく仲良くなってもやがて疎遠になったり、別れが来てしまうことに対して、臆病になっているのだ。それならば最初から仲良くならなければいいという頭が働いてしまう。
それは、紛れもなく前回書いたように、ずっと自分が転校生という立場だったからだ。
世間では、転校生ならば、世渡りの術も身に付け、かえって人との付き合いがうまくできるのではないかと思うだろう。
けれども私の場合は、初めて友との別れを経験した5歳の時から、その寂しさや悲しさ、新しい環境に慣れるまでに経験する精神的な苦痛さが、トラウマになってしまったのだ。
いつも、別れの朝、クラスメートや先生、両親の知人たちがみんな涙・涙で駅まで見送りにきてくれた。もしかしたら、二度と会えない人たちもいる。
親友までもホームに残したまま、電車は無情にも動き出してしまうのだ。ホームの端まで走って追い掛けてくれた友達もいた。
「元気でね」「手紙ちょうだいね」「ありがとう」「さようなら」―窓から身を乗り出して、見えなくなるまで、ちぎれるくらい手を振った。新しい土地に着くまで、涙が引かなかったこともある。
新しい環境にすぐ馴染めるという羨ましい人がいるが、私はなかなかできない。就職してからも何度か部署異動をしたが、とにかくその前後は憂鬱が続く。しばらく相当「無理」をしなければならないのだ。
転校が多いと、あちらこちらの土地に友達ができるという良さはある。訪ねる故郷がたくさんあり、思い出も多いというのも良い。
でも、それはやっと大人になって落ち着いた今だから言えるのであって、子供にとっては心の負担だったのである。
けれども、いろいろな方たちとの出会いと別れを経験したことは、生きる上で、財産でもある。それは間違いない。人の話を聞いて文章を書く今の仕事にも役立っている。
また、自分自身がいつもどこかしらその土地に根付いていない「よそ者」という立場だったので、さまざまな集団の中でいろいろな意味での異端者を優しく受け入れられる人間になれたとも思う。
4人きょうだいの長女である私は、どうしたって根っからのリーダー・姉御タイプだ。転校生ではあったけれど、世話を焼かれる方ではなく、すぐに世話を焼く方に回っていた。委員などもよくやった。みんなに馴染むための手段というより、人に甘えるということが苦手だったとも言える。
小学校から高校に至るまで、よく先生からクラスのいじめられっ子をかばい、助ける役目を頼まれたり、いじめられっ子が自然と慕ってくれていた。高校の時は、学年一の不良少女までもが「勉強を教えて」と私のところにやってきていた。
常に何かと問題のある子と同じ班にされたりして、苦痛に感じたこともあった。しかし、子供ながらに私はそういう役目なのだと悟っていた。生まれた時から父が社会福祉の仕事をしていたので、人に優しくすることの真の意を常々叩き込まれていたし、よく理解していたのだと思う。
そうやって輪の中心になることが多く過ごしてきたのだが、それはあくまでも社会の中での当然の責任としてやってきたことだ。
人は一人では生きられない。知らない人同士の中から不思議で素晴らしい出会いも生まれることや、「大勢」の楽しさも知っている。
「別れ恐怖症」は、裏返せば、本当は人との出会いが好きということだろう。私に必要なのは、バリアを打ち破る「もう半歩の勇気」なのだ。この勇気は、宝塚の舞台や生徒やヅカ仲間からもらうことがある。だから、宝塚に出会って15年、少しは成長しているのかもしれない。
一家で転勤を繰り返していたころ、家族で「荷造りはお手のもののわれわれは、まるでジプシーだね」と話していた。
気ままに旅をしている方が落ち着くというのも、今でも私がジプシーだからなのかもしれない。(続く)

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コメントコメント


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育った環境が性格に影響するというのは大いにあると思います。
貧乏だったし母が病気でさみしい思いをしたけれど苦労と思ったことはなかった。
きょうだいがいたからだと思います。

SAKICO | URL | 2006/09/27 (Wed) 20:14 [編集]


そういうことですなぁ。
そのうち家族のことも書きます。

わっちさん | URL | 2006/09/27 (Wed) 20:30 [編集]


 
 

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