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北海道発・わっちさんの宝塚な日々

交換成立

東京タワー

先日主人と行った雨の東京タワーです。
宙組大劇場の手持ちチケットと欲しいチケットの一つが珍しく交換成立。良かったぁ。でも、まだまだ今年の年末までの分、いろいろ頑張らねば・・・。


●ミニエッセー46「わっちさんのこと1・20歳まで」
数回にわたって自分のことを書いてみたい。
私は、昭和39(1964)年の冬に北海道網走市で若い両親の長女として誕生した。東京オリンピックがあった年だが、私は母のお腹の中だったのでよく知らない。
予定より生まれるのが遅れたせいか、すでに「大人顔」だったとか。歩くのも話すのも相当早かったらしい。とにかくわっちさんは、かわいらしく、美しく細かった。ただし、「もう過去の話さ」(「ファントム」のセリフより)。
父は地方公務員で社会福祉の専門家。北海道中を異動する転勤族だった。よって、幼稚園の時、5歳で天塩町に引っ越し、小学3年で留萌市に移り、中学1年で天塩町に戻り、高校1年で今住んでいる道央のとある市に来た。
ここは、両親がかねて永住を望んでいた土地であったため、転勤してきたその年の冬に一軒家を購入。以来、父は現役引退した数年前まで、単身赴任で転勤していた。
私は、見事に幼稚園から高校まで2校ずつ行ったことになる。高校での転校というのは、なかなか珍しいことで、いつもそうだったが、「話題の転校生」だった。今でも、そんな立場の夢をよく見る。
転校を繰り返したこの事は、私の性格形成に大きな影響を与えている。この辺りのことは次回、語りたい。
中学のころまでは、中学校の国語教諭になるために、教育大学に行くつもりだったのだが、高校の後半には、きょうだいも多いし、家計を助けるたにも、短大で好きな勉強をした後は、早く社会に出たいと考えるようになっていた。
高望みかとも思ったが、当時北海道の短大ではナンバーワンの難易度で、カトリック系のお嬢様学校として有名だった札幌市の藤女子短期大学の国文科を受験。何かの間違いか、合格してしまった。
今でも、試験はたいしてできた感じがしていない。もしかしたら、高校時代の成績が要領の良さだけで上位だった(学年で250人中4番だった)のと、高校3年の時、小説で北海道では有名な賞をいただいたので、内申書のおかげだったのかもしれない。
たった2年しかなかった学生時代は、昔から挑戦したかったことをすべてやった。
まず、ギターを弾けるようになること。フォークソング(実際はポップスが多かった)クラブに入って、指から血が出るほど練習してマスターした。そして、昔から作詞・作曲をしていたので、バンドを組んで人前でコンサートを開き、弾き語りができたのがうれしかった。
次に、速記の資格を取ること。子供のころから「早稲田速記」にあこがれていて、通信教育で勉強し、資格を取った。考えてみれば、今の職業にそれが役立っているから不思議だ。
ほかに中学で4級を取ってからすっかり忘れていた英検を受け、お粗末ながら3級に上がった。
それから、初めてのアルバイト。長期休みには、父の役所の臨時職員として事務仕事をこなす中で、和文タイプライターとワープロ(どちらも今はパソコンに変わっているが)をマスターした。
普段、たまに週末などに街頭に立って、試供品配りのバイトもやった。これが、とても割りの良い仕事で、時給が抜群に良かった。今でいうアキバ系の男性に写真を撮られまくるのも我慢できた。
教職は取らなかった。家が遠かったし、クラブ活動もやっていて、費用も時間ももったいないと考えた。景気の良い時代だったので、公務員になるよりは、大手企業に勤めれた方が、給与が高いとも思った。
高校3年から交際していた彼氏がいたが、お互い貧乏だったので、どこかへ遊びに行くということもできず、短大2年時はクラス委員やクラブの副部長もやっていたので、非常に真面目なものだった。
そうして、「退団貯金と反省と」で述べたように就職することができた。(続く)
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