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北海道発・わっちさんの宝塚な日々

荷解き

昨日、先日東京から送ったスーツケースが届き、いつもならその日のうちに片付けるか、次すぐ行く時は荷造りし直すのですが、疲れが出て早く寝てしまい、そのまんまに・・・。
今日頑張ってやりましたが、ファントムのプログラムを見ただけで思い出(って、まだ数日しか経っていないけど)に浸ってしまいました
次、泊りでは9月中旬まで行かないのですが、その先は行きまくるので、今から、荷造りが大変だなぁと・・・。


●ミニエッセー19「“ベルサイユのばら”の魅力1」
「ベルばら」について語ると止まらなくなるので、ポイントを「魅力」に絞ろうと思う。
宝塚を知らない人は、「ベルばら」といえば宝塚だし、宝塚といえば「ベルばら」というイメージだろう。豪華な衣装やセット、やや大仰なセリフ回し、愛・愛・愛という歌。とても一般の演劇界ではできない、宝塚だから似合う世界で、代表作品の一つであることは確かだ。
けれどもさすがに、初演から30年以上経ち、幾度かさまざまなバージョンで繰り返し再演されてきたし、幾ら好きな私でも「また上演する」となるとちょっと簡便してほしいなと思ってしまう。昨年後半から今年に掛けてもあり、観劇前には「どうなのかな。さすがに飽きを感じてしまうのでは」と心配していた。
ところが実際に観ると、演出がところどころ変わっていること、演じるスターが違う、衣装が違うことなどがあって、「やっぱり何度再演されてもいいものだなあ」という結果に。
私をひきつけてやまない「ベルばら」の魅力は、「原作の魅力」だ。私は「ベルばら」の原作を人生のバイブルだと思っている。登場人物それぞれに教えられることが多い。特に、白いばらにたとえられるオスカルは、性別を超えて清くりりしく生きた点で共感する。そのほかにもいろいろな「ばら」たち、そしてその人たちを取り巻くツル、草葉、枝、土、水、種になる人たちが時代を守りながら、あるいは時代を変えようと必死に生きる。「ベルばら」の「ばら」とは、実際に咲く花のことではなく、花のように健気に、懸命に、情熱的に生きた人たちのことなのである。つまり、「ベルサイユのばらたち」なのだ。
もしも、フランス革命の史実をそのまま漫画にしたものであったなら、それは単なる歴史絵巻にすぎないが、史実に、魅力的な架空の人物であるオスカルやアンドレを巧く絡めたところに原作者・池田理代子先生の「勝ち」がある。何より脱帽なのは、先生が20代前半で描いたということである。
宝塚の「ベルばら」には大きく分けて、王妃マリー・アントワネットとフェルゼンの許されぬ恋を軸にしたバージョンと、貴族でありながら正義と市民のために闘うオスカルを主人公とするバージョンがある。前者については、宝塚が男役社会であることから、フェルゼンが主人公になる。かつては、オスカルを一途に愛するオスカルの家(ジャルジェ家)の使用人であり、最後は衛兵隊士であった男性、アンドレが主人公の公演もあった。
私は、どちらかというとオスカル編が好きである。フェルゼン編にも脇役としてオスカルやアンドレが登場することがあるが、場面的にも、アンドレが死ぬ場面、激しいダンスで表現されるオスカルが市民と共に闘い、そして死んでいく場面が見せ場となり、そして、宝塚らしく美しいオスカルとアンドレが天国で結ばれて幸せになるというのがないと寂しいのだ。
次に望むらくは、オスカルに助けられ、一緒に暮らし、やがて巣立っていき、最後はオスカルを看取るロザリーの活躍だ。ロザリーは宝塚ファンの化身だ。女性と知りながらオスカルに恋をする、その切ない気持が痛いほど理解できるからである。泣き虫ではかなげに見えるロザリーは、実は数々の苦難を乗り越えていく芯が強い女性でもある。そんなところもいい。(続く)
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