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北海道発・わっちさんの宝塚な日々

アクセサリーも・・・

ピクルス

手作りピクルスです。職場の仲間に教えてもらってたまに作るようになりました。ただし、わが家で酸っぱい系が好きなのはわっちさんだけ・・・。やっぱり誰かに食べてもらわないと張り合いがない。おいしいんだけどなぁ。

ねえ、キャトルレーブの通販さんよ・・・アクセサリーだって、ちゃんと梱包すれば送れるんだから、通販してよね・・・。
来月発売になるおさちゃんのアクセサリー、買いたいよぉ。
行くまで1カ月も待たなきゃならないとは・・・。
売れ切れたら、わっちさん、泣くからね。(勝手にしろってね)
と、ぶつぶつ言いつつ、ル・サンクやNEWポストカードを
注文しちゃったわい。


●ミニエッセー173「学校行事の思い出4・修学旅行」
同じ北海道の学校であっても地域によって修学旅行の行き先が違うが、私の場合はこうだった。
道北でも道央に近い小学校では札幌と洞爺(とうや)。道北の中学校では洞爺と函館。道央の高校では京都、奈良と東京(ちなみにまだ東京なんとかランドができる前)。
つまり、小学校でも中学校でも同じように洞爺湖温泉や有珠山・昭和新山のある道南の洞爺へ行ったのだ。今でもなんとなく損をした気分でいる。
私の世代は、道央では、小学校で洞爺・函館、中学では当時はまだ海底トンネルがなかったので、青函連絡船で既に北海道を出て青森などに行っていた。
高校になって初めて道央に来た私は、クラスのみんなはとっくに経験済みの青函連絡船に、高校の修学旅行で初めて乗ったのである。しかも、私はその時初めて北海道を出た。立派なおのぼりさんだった。大型の客船に乗ったことがなかった私は、乗り込んで大広間みたいな所で、しばらく経ってから友人に「ねえ、船にはいつ乗るの?」と言った。友人がお腹を抱えて笑ったことは言うまでもない。
実は、函館港に着いたのが夜で、私は客船全体の概観も見ないまま、バスからすぐ通路を渡って乗ったため、船に乗ったという意識がなく、たたみ敷きの3等客室を、船に乗るまでの待合室だと思っていたのだ。超田舎者の私は、船へは、岸壁から海に落ちないよう、またいで乗ることをイメージしていたのだ。しばらく笑い話の種にされたのは、当然である。
小学校では、おこづかい3,000円をちょっきり使い果たしたことと、あまりの寝不足(睡眠2時間)で最終日の札幌サッポロビール工場の見学で意識がなく、倒れそうだったことが思い出話だった。
中学でわっちさんは、また寝不足によって、翌日鼻血が止まらなくなり、すっかりクラスメートの世話になり、移動のバスでは、同行した保健の先生を独り占めしたという伝説を残した。
高校では、前述の船事件のほか、奈良公園での集合写真撮影の瞬間、端に居た私が鹿に襲われたり、京都の嵐山で親友と2人、集合写真撮影時間に遅れて最も端の先生より端に滑り込んだりということもあった。
高校の修学旅行から帰ってきて、数日の休みの後に登校すると、みんな食中毒の話をしていた。先生から話があり初めて知ったが、実は、最終日の最後の食事であった道南の長万部(おしゃまんべ)の名物・かにめし弁当が腐っていたらしく、多くの生徒が休み中に嘔吐と下痢、発熱で病院へ行ったらしいのだ。食中毒事件として、補償の問題などもあるので、ほかにも被害者は申し出よということだった。
親友と私は顔を見合わせた。「私たち、何でもなかったよね。どうして?・・・」―いまだに謎である。が、いつでも、どこへ行っても何もかもが珍しく映り、すべてが楽しくて、当時、普段はしていた乗り物酔いもまったくしなかった私。新幹線や夜行寝台列車に乗ったのも高校の時が初めてであった。きっと、そんな気持ちが食中毒にさえ勝ったのだろう。
このごろ、北海道の高校の修学旅行は、行きも帰りもぴゅっと飛行機で本州へ、しかも沖縄なんぞへ行くところもあるらしい。わが職場の大学付属の高校では、一部の科は外国へ行く。時代は変わった。(続く)

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