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北海道発・わっちさんの宝塚な日々

元・麻尋しゅんさんのCM


Mちゃんに、私が立替をしていたある品物の代金をこれに入れていただきました。

ホットアイマスク・めぐリズムのCMに出ている麻尋えりかさんは男役スターだったのがウソのように「女の子」ですね。初めに見たときえくぼだけで気付いた私はやっぱり宝塚ツウだなと。

<サロンのブログ更新しました>
社長ネイル「パステル&雪結晶」を掲載→ネイルセラピーサロンstage


●ミニエッセー1621「田嶋華子さんの生き方③」
昨年秋から2カ月半にわたって尿管結石の痛みと闘った。命にかかわらないことだったが、なかなかどうしてしんどかった。いつ良くなるともしれない痛み、苦しみに耐えることの地獄を知る者として、華子さんの気持ちは身にしみて分かったのだ。

一方、どんな痛み苦しみにも負けず、あらゆる治療を受けて絶対生きる、一日でも長く生きると努力する生き方もある。強い生への執着でそれを実践し、ついに奇跡まで起こしたのは私の母だ。今年71歳になるが、一度死んだ(に近い)人間とは思われないほど若い。最近は大きな病気もない。
重いぜんそくで呼吸不全となり、気管を切開しての人工呼吸器により延命、植物状態・危篤状態で数か月生死をさまよった(死の世界への入口もはっきりと見てきた)末に目覚め、人工呼吸器口からのたん吸引中、偶然にも奥まで吸引したことで恐ろしい量の古いたんを除去でき、ぜんそくの発作がなくなり、声も戻り、病院の研究症例ともなったほど例を見ない回復を遂げた母のことも前に当コーナーで書いた。
医師から延命の最後の手段について相談された時、母の意思を医師に伝えたのは私だった。「自発呼吸がないので、薬で睡眠させ、最後の手段として首のところから気管を切開し、人工呼吸器を付けて、なんとか自発呼吸を待ちたい。ただし、心臓はかすかに動いているだけだし、自発呼吸は永遠に起きないかもしれないけれどいかがですか」と医師が言った。
私は即答した。「意識のある最後に、母がそれを望んでいました。母は治療についてものすごく勉強していたので、最後の手段としてそれがあるから頼むねと」。「よし、すぐやりましょう」―別の町に単身赴任していた父はどうしてもはずせない仕事で、母が話せなくなってから到着し、その後すぐ大きな病院に転送されたため、母の気管切開の意思について知っていたのは、その日出張が早く終わり、かけつけてそばにいた私だけだった。母は、覚悟して私に遺言も伝えていたが、「最後は気管切開を」と頼んでいた。
母の意思を知らなくても私たち家族はGOを出したと思うが、数秒で決定し、結果的に母の復活につながったのは、ほかでもない母自身がとにかく生きようとしていたからである。末妹はまだ高校生だった。彼女が大人になるまでは、そして孫たちが大きくなるまでは絶対死んでなるものかと頑張っていた。

(続く)

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