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北海道発・わっちさんの宝塚な日々

年末年始2010-11③


Mちゃん親子と私の誕生日会をやった札幌駅前のお店。

昨年病気した時も年末会った時も年賀状にも看護師である弟のお嫁さんから「おねえちゃん、水分取らなすぎ。1日1.5~2リットル飲まないとだめ」と言われ、お正月から意識してずっと何かしら飲むように。雑穀ごはんと多めの水分で少しは便秘が解消されたような気が・・・気だけかも・・・。

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●ミニエッセー1619「田嶋華子さんの生き方①」
私の好きな言葉に「人はどれだけ生きたかじゃなく、どう生きたかだ」というのがある。前々からそう感じていたところ、宝塚『誠の群像』で沖田総司のせりふとして出て来て、まったくもって「これだよ」と感じ、常に抱いている。
今まで幾度か私の持病や病歴などのことを書いてきた。大病や大けが、手術をして奇跡のようになんとか助かってきたが、現在もなお完治していない病いを持っている自分にとって、「死」が身近であること、つまりは健康、「生」がどれだけ大事であるか、悔いのない生き方をすることは日常の、そして永遠のテーマだ。

たまたま2010年12月8日に放送されたNHK『クローズアップ現代』を観た。まさにこの日取り上げられていた故・田嶋華子さんが生前冒頭の言葉を述べていて(人工呼吸器装着で声帯を失っていたため正確には、書いていた)、テレビの前で大きくうなずいた。
番組を観た方には重複の情報になるが、心臓病そのほかさまざまな病気を抱え18歳で昨年亡くなった華子さんは、入院や一切の延命治療を拒否し、両親とともに自宅で過ごすことを選んだ。主治医は訪問診療をしていたが、最後まで本人と両親の意向を尊重し続けた。
腎不全になって体中がむくんでも透析をも拒んだ時はさすがの私も「その選択はどうなんだろう・・・」と思ったが、透析をするとなると病院に行かなければならず、それが嫌だという華子さんの気持ちが理解でき、涙を禁じえなかったが最後まで番組を観た。

華子さんは8歳のとき支援を得てドイツで心臓移植を受けている。その後もつらい闘病生活が続き、何度も生命の危機を乗り越えて来た。痛い、苦しい思いをたくさんしてきた。同年齢の健常者の女の子が経験するような楽しい学校生活、青春の日々もなかった。それでも支援者や両親とともに、「頑張って」生きてきた。しかし、晩年華子さんは「もう十分頑張った。もういい。病院のベッドに居るのは嫌だ」と自分の生き方を決めたのだ。
きっと華子さんは、自分のこととともに苦労する両親や医師たちを経済的、肉体的に楽にさせたいという優しさ、思いやりからもそう決めたのではないかと想像する。

(続く)

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