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北海道発・わっちさんの宝塚な日々

春野さんサンケイイベントデー

ひとみ
思い出の人見記念講堂。

本日はお台場での春野さんイベント。久々のおさちゃん、ドキドキです。

<おしらせ>
姉妹店わんこのきもちで「わんにゃんそっくりフィギア」「動物用プリザーブドフラワー」の販売を開始いたしました。
プレゼントにも最適です。ぜひ、のぞいてみてください。
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●ミニエッセー1361「25年を振り返って⑦」
25年の間、さまざまなことがあったが、私はいつでも、第一に「学生のために」ということを念頭にやってきた。
結婚後、また文学を勉強したいと慶應大学(通信制)に編入してからも、宝塚に出合って、それが生活の中心になってからも、その思いだけは忘れなかった。
大学からお給料をいただけるのは、学生が来てくれて、その親御さんが汗水して働き、子供のために懸命にためたお金を払っていただいているからであり、1円も無駄にできなかった。
その思いに応えることが、学生生活のサポート役である職員の本分であり、大学を向上させることにもつながり、社会貢献になると意識してきた。

私が25年の中で経験した部署は、サロンのブログの「店長プロフィール」にもあるが、おさらいすると、大学・短大の入学についての一切と入試に関わる広報を担当する入試課に7年、学園全体の総務課に4年、大学・短大の授業運営、単位取得をお世話する教務課に7年、さまざまな営業部門を担当するエクステンションセンターの雑誌編集部に7年だ。
また、教務時代には、1年に満たなかったが、専任職員がいなかった新設の広報室の職員を兼務していた。
なぜ兼務者に抜擢されたかというと、かつて入試広報も経験し、さらに趣味で小説などを書いていたから「わっちさんならばなんか書けそうだ」ということからだ。

時間的な忙しさで言えば、自分で仕事を組み立てる最後の編集部生活7年を除いてはすべて、時期的な波がある部署だったので、業務が立て込むときは夜中までの残業もあった。

入試課では、秋から春までの入試シーズンはもちろん、年中広報活動のために全国各地に出張して高校生を相手に相談を受けていた。また、パンフレットや要項・書類づくり、願書処理などがあったが、何しろ、当時はまだパソコンが完全には普及しておらず、独自のプログラムでやっと少しずつ機械化が始まったころ。多くの作業が手作業で、ついには手首がガングリオンという病気になり、その後も病院通いをしたほどのハードさだった。
年を追うごとに次第に機械化が進んでいったが、まだ18歳人口が多いころで、志願者がものすごい数だったため、とにかく事務処理量が半端ではなかった。
それだけにやりがいもあったし、課として独立したばかりだったので、自由にシステムを確立していく面白さも味わった。失敗も多かったが、事務屋としての基礎を体で覚えた7年だった。

この初めの7年の間に、最初に述べた大失恋、結婚、通教スタート、そして入試課最後の1年は宝塚に出合ったことに加え、重度のぜんそくから母が危篤になり、長い期間生死をさまよい、かなり休みをいただいて家族で交代して看病に明け暮れたことも忘れられない。
それから、多くの臨時職員の方々と出会い、仲良くなって、今でもお付き合いがある。

(続く)

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