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北海道発・わっちさんの宝塚な日々

歌劇誌に泣けた

神奈川ホール

初めて行った横浜の神奈川県民ホールです。そう、雨の中入り待ちしたんですよね・・・。
先日届いた(定期購読)「歌劇」のコムちゃん、まーちゃんのさよなら特集を読んでいるうちに泣けてきました。
おさちゃん、今は送る言葉を書いているけれど、あなたにもこんな日がくるのねと・・・。
いかん、いかん、まずは明智のことだけを考えよう。
さて、今日は友の会結果照会・・・どうかなぁ。
♪悲しみは明日にしよう~(「風と共に去りぬ」より)


●ミニエッセー122「私の先生6」
小学校から高校までに出会った私の担任の先生を振り返ってみて、ほとんどの先生が、単に教師であることを職業としてとらえていたのではなく、「教師という生き方をしていた」のだと気付いた。
もちろん、家に帰れば先生であってもただの人間なのだが、教師であるという自覚を脱がなかった先生が多かったのではないだろうか。
もしかしたら、私の場合ほぼ田舎の学校ばかりだったので、同じ昭和40年代後半~50年代中盤までであっても、都会であれば、地域(または町全体)と家庭と学校の密接な関係性(それも大切だと感じる)が違い、先生の雰囲気も異なっていたかもしれないが、総じて児童・生徒を自分の子供のように理解し、愛し、信じてくれていた。大人しい子、元気な子、優等生から問題児までみんなを、である。
また、子供たちも自己中心的な考えや態度はいけないことで、相手の立場になって思いやることが大切だと知っていた。
クラスに起きる問題一つひとつに対して、共に悩み考え、真摯に取り組んでいた。子供の感性はナイーブで鋭い。先生や周りの大人がそれを理解してくれていて、身を委ねられるか否か肌で感じるのである。
今もそうだろう。信用できないと感じたら、子供は先生に対して心を開かない。そうなれば本音を話さなくなるから、本当にその子の中で起きていることも理解できなくなる。どの子とどの子が友達だとか、表面は友達でも心を許し合ってないなとか、グループの対立とか、孤立しているとかも把握できなくなる。そのことによって、いじめ問題を深くすることもあり得るのではないだろうか。
いじめや未履修問題などの対応で、先生方は奔走し、心労も募っていよう。それを承知で、あえて言わせていただく。
不幸にも起きる生徒の自殺も、信頼関係を築けない心のつながりの薄さの延長線にあるのではないだろうか。もしも、私が出会った数々の尊敬する先生たちのように、思いやりや命の尊さを子供たちの心の奥深くまで浸透させられたら、そして、普段から「先生が守ってやるから、味方だから死ぬなよ」と口を酸っぱくして言っていたら、救えたかもしれないとふと思うのだ。
生きたくても生きられない者もいる。せっかくの美しく輝かしい命の花であるのに、残される者の悲しみや苦しみも考えず、安易に死ねばいいと思う弱さは嘆かわしい。けれども、逃げ場を失い、恐ろしいはずの死に立ち向かえるくらいの勇気を自殺者は持つのである。なんとかしなければならない。
あろうことか、問題解決に真っ向から当たらなければならない先生が自殺するケースもある。いくら追い込まれても、そんな責任の取り方などない。それは、「逃げた」と呼ぶのである。
子供たちの信頼を得るには、子供たちに対する心意気をバンバン表現し、見せていくことではないだろうか。というよりも、それしかないのではないだろうか。つまり、先生はエンターティナーでなければならないと私は思う。実際に踊って歌って演技するということではないが、気持ちはまったく同じで、「話す」という技も要るだろう。どんな方法でもいい。もしパフォーマンスが苦手なら書いて示してもいいから、心にまで届くような表現力が大切なのである。授業も、クラス運営も、行事などでも、普段でも。
前にも述べたが、私は子供のころ先生になりたかった。それは、子供が好きとか勉強が好きとか、教えるのが好きとかではなく、出会った先生たちが魅力的だったから影響されたのである。あんなふうに信頼を得て、きらきらした若い命にたくさん出会えて過ごせるならすてきだなと感じたからである。
今、先生としてではないが、若い人たちの息吹を感じながら、幸いにも私が居場所として望んでいた教育現場に毎日いる。現在は直接学生の教育や生活にかかわる部署ではないが、多くの「先生」と呼ばれる人たちと接し、支える立場にいる。大学・大学院では、先生は教育者でもあり研究者でもあるから、ますますエンターティナーとして、学生たちを牽引し、社会貢献していただきたいと感じている。
先生とは、「先」に立って「生」き方を示す人。私には、そう思える。


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コメントコメント


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そう、だから先に立って生き方を示す立場の校長が人生をなげてはいけない。
辛いのが人生。またステキなのも人生。
私はまだまだそれを語れるほど生きていませんが。

SAKICO | URL | 2006/12/11 (Mon) 03:21 [編集]


ほんと、苦しいことの方が多いよね、人生。
けれども、生まれてきて良かったなーと思う瞬間がある。
これからもそんな瞬間に出会える希望を捨てないで、何とか頑張りたいものです。
共に一歩ずつ行きましょう。

わっちさん | URL | 2006/12/11 (Mon) 08:49 [編集]


わっちさん、今日もミニエッセーを読み、いろいろ考えさせられました。教育現場も管理化が進み、先生たちがかなり縛られつつある現代、生きることのロマンや素晴らしさを伝えられる先生或いは大人が一人でも多く、若者の身近にいたら自殺者は減るでしょう。さて自分はどんな大人に映っているだろうか?

りんご | URL | 2006/12/11 (Mon) 21:01 [編集]


わたしの子供の頃には、もうそんな先生はいなかったかも。
でも中学の頃、「おれは普通の人間だし、子の親だから、お前たちが心配なんだ」っていう先生がいて、全然立派な大人って感じの人じゃなかったけど(笑)わたしはとっても信頼してました。
自分の親より本音で話せてたなぁ。
そして、親となった今。
先生というオイシイ職に就けたお勉強を教えるだけの人か、理想の子供像を押し付ける時代錯誤の人にしか出会ったことがありません。
心から子供が先生って呼べる人は、だんだん減っているのでしょうね。
ああ。柄にもなく、真面目なこと書いちゃいました(逃)

tama | URL | 2006/12/11 (Mon) 23:27 [編集]


わっちさん、こんばんは。
今月の歌劇は泣けますよね・・・・。
なんか私、まーちゃんに弱いんです。
まーちゃんがにこにこしてるのを見ても泣けてしまいます。

じゅん | URL | 2006/12/11 (Mon) 23:58 [編集]


りんごさま

ありがとうございます。
私も自戒を含め、日々
教育現場の一員として
大切な学生のために
尽力したいと思っています。







わっちさん | URL | 2006/12/12 (Tue) 03:06 [編集]


tamaさま

子供が一日のうち多く過ごす
学校って、本当に大切な時間だと思います。
昔、放映していた
「われら青春」など青春シリーズを地でいく
みたいな先生はもういないんでしょうか・・・。
先生もドジなところを見せながら
子供たちによって成長していく。
それでいいんですよね。






わっちさん | URL | 2006/12/12 (Tue) 03:16 [編集]


じゅんさま

だんだんとなじみの生徒が
退団していくのは本当に寂しいです。
おさの時、自分がどうなるのか
心配です。v-404

わっちさん | URL | 2006/12/12 (Tue) 03:21 [編集]


 
 

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