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北海道発・わっちさんの宝塚な日々

先に飛行機を予約

月曜はほとんど毎回「電話掛け」があり、今日は星組東京公演の結果紹介と花組全国ツアー関東公演の申し込み。
やったよぉ。星組さんは、現トップ湖月わたるさんの退団公演で、せめて1度でも観たいと申し込んだ第一希望が見事当選!
なんとなく当たる予感がして、先に飛行機を取っていた私はすごいかも。そう、ホテルや飛行機を先に申し込んでから、最後にチケットの手配ということもあるんですよね。週末で人気ある日は希望のホテルが満室になったら困るし、飛行機はなるべく安く済ませるためにバーゲンフェアや早割りを取るなど、地方ファンは気が抜けないんです
残念ながら、高校野球はわが北海道の駒澤大学苫小牧高校の3連覇ならず。でも、良い夢を見せてもらい、最後まであきらめずに物事に真正面から向かうことの大切さに気付かせてくれました。ありがとう、おつかれさま、高校球児たち!


●ミニエッセー11「現役時代の真琴つばささんのこと・愛し始めた日」
さて、私の軸スター4のうちの3人目、月組トップスターだった真琴つばささん(以下マミさん)については、あまりにエピソードが多いため、まずは今回から数回にわたって現役時代のことを振り返りたい。退団後については、またしばらく時間を置いてから張り切って書きたい。
初めてマミさんを目にしたのは、まだ花組時代で、1992年「白扇花集/スパルタカス」のテレビ中継か、そのころ買いまくっていたTCAスペシャル(かつてはTMP音楽祭)のビデオだったか忘れてしまったが、とにかく後に花組に残りトップスターになった同期の愛華みれさんとダブル3番手の立場のころだった。
「ソフトで温かいムードの愛華さんとは正反対で、真琴さんはハードでクールな若手男役」という印象で、マミさんに対しては「嫌いじゃない」という程度の気持ちだった。が、評論家よろしく、この人たちは将来同じ時期にそれぞれトップになっていいはずだから、どちらかを別の組に異動させた方がいいのにと思っていた。そして、その通りにマミさんが1993年、アマミーがトップだった月組に3番手としてやってきたのだ。
しかし、私がマミさんの生の舞台を観たのは、1995年の阪神・淡路大震災で大劇場公演が中止になった「ハードボイルドエッグ/エキゾティカ!」の東京公演だった。そして、前回述べたようにあっという間にアマミーが退団後は、さきやんを追って星組を観ていたため、久世星佳さんがトップの時代、つまりマミさんが2番手だった月組を生では観ていないのだ。今考えると惜しいことをした。
そして、なんと生のマミさん2回目というのが、1997年夏のマミさんのトップお披露目「エルドラード」。月組がどう生まれ変わったか観てみようという動機だった。その日こそ、マミさんを愛し始めた日になった。
結構前方の上手の席で観ていた私に何が起こったのか。
1本物の芝居の後の短いお披露目ショー的なフィナーレの中で、黒い大きな羽を背負ったマミさんが、1人銀橋を上手から下手へ、客席にアピールしながら渡っていく場面で、ふいに私の居る方に向いてぐっと身を乗り出し、背中の羽を振りながら、目力とマミさんには珍しい微笑で、見えない「マミ矢」を放ってきたのである。それは、かなり深く刺さってしまった。私は、殺された。
このごろ、そういうベタなニクイことをして、お客さんを落とそうとするスターが少なくなったが、それこそが宝塚の男役ではないだろうか。
マミさんはあの時、ただ決められた振りをしたのかもしれないし、実際はほんの一瞬だったのだろうが、私の心のハードディスクには、そこだけスローモーションで残っている。だから今でも、見詰め合ってしまった・・・くらいの感覚なのだ。ああ、勘違いとは幸せなものだ。
隣で観ていた主人も後で「あの時すごくこっち見てたよね。真琴つばさ、かっこ良かったねー」と言っていたのには笑ったが・・・。
フィナーレから始まった恋というのもなんだが、とにかく、一目惚れだった。
それから現在まで、観ていないマミさん出演の過去の作品をビデオで観たり、下級生のころの写真などを買い集めたりしたし、トップ時代の作品はほぼ網羅したし、退団後も公式ファンクラブに入り、ほぼパーフェクトに活動を見続けているので、まだ愛し始めてから10年未満とは思えない中身の濃さだ。(続く)

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