おさあさ&木村先生
地球儀

初めてのシー。エントランスにあるでかい回ってる地球儀。かろうじて日本が見えるぅ!Mちーは、わっちさんプレゼンツの白耳付き帽子がとっても似合っていました。

<ネタばれですが・・・>
先日CSの「演出家と語る」で木村信司先生がぜいたくにも鼎談相手におさあさをリクエストしてくれ、実現したのはファンには嬉しかったですね。
しかも「宝塚グラフ」懐かしの「おさあさのお悩み相談爆笑トークバトル」(タイトル違うかもですが)形式で。
何が一番ウケたかというと、あさこちゃんが木村先生の頭と顔について、「どこまでが洗顔でどこからが洗髪なのか」と質問し、おさちゃんがなんてことを言うんだと、あさこちゃんの肩を思いっきり叩いたことと、木村先生の答え。
あのヘアースタイル(2分がり?)で、なんでシャンプーする必要があるのぉ~。うちの職場にも同じような頭の男性がいるんですが、うちの彼はごていねいにリンスまでするというからみんなに「もったいない」とばかにされています。
もっと「不滅の棘」の裏話とかたくさん聞きたかったなぁ。ノーカット版を放送してほしいです~。


●ミニエッセー201「私はテレビっ子7・やらせはネタだけに」
今でも子供を持つ親が見せたくない俗悪番組などのランキングが発表されるようだが、昔ほどテレビが悪者扱いされなくなった。今やテレビができる前にはラジオが果たしていた情報の伝播や教育、家庭のだんらんにも活用されるようになり、市民権を得た。というより、生活必需品になった。
私が子供のころは、よく親に「テレビばかり観ていたらバカになるよ。勉強しなさい」などと注意されたものだ。「ご飯を食べながらテレビを観てはいけない」とも言われたが、わが家では、ご飯の時もテレビを消すというふうにまではならなかった。
平日は8時には寝るように言いつけられていて、午後8時以降に「太陽にほえろ」や「金曜10時噂のチャンネル」などがある金曜日だけは、許されていた。両親も子供たちと一緒になってバラエティーやアニメを楽しんで観ていた。
中学・高校になっても、あまり外に出歩くことがなかった娘にとって、テレビが娯楽なのだ、西城秀樹さんを観るのが楽しみなのだと、両親はよく知っていたように思う。
テレビの伝える情報をつい信じやすかった視聴者だったことを、このたび情報ねつ造で問題になった「あるある大事典」事件で気付かされ、反省した。納豆をいつもより多く購入していた自分がいた。テレビっ子といえども、娯楽として楽しむのが身上であり、氾濫する情報に踊らされてはいけなかった。観る方の慎重な取捨選択も大切である。
人気番組がひしめく中、局やスポンサーからの重圧を受け、テレビ番組の制作が容易ではないことは分かる。しかし、情報番組での嘘はいけない。倫理に反してはいけない。
テレビ番組は、世相・歴史を映し出す鏡でもある。社会に悪影響を与えたこのたびの事件は、将来振り返った時、テレビ史として残念な出来事として残ってしまうことだろう。
ねつ造というほどではなかったが、今回の事で思い出したことがある。昔、俳優の故・川口浩さんが隊長となって、アマゾンの川や森林などを探検し、謎の生物の発見などに挑む探検番組のシリーズがあった。最初は、世間はそのすべてがノンフィクションのドキュメント的な番組だと思っていたのだが、あまりにわざとらしい出演者のリアクションや不自然なカメラワークなどから、次第にそれが最初から台本があり、ほとんど演出された番組なのだと分かってきた。
それを面白がった歌ができたり、漫才のネタになり、番組はますますわざと過剰な演出をするようになった。が、やがて飽きられてやっぱり限界が来た。
昔からいろいろな形の「やらせ」はあると思うが、視聴者がそれを認めて笑い飛ばせるような「ネタ」であるなら許せる。けれども、楽しい演出の範囲を超えて、詐欺を見せられてはたまらない。テレビを楽しむ時間というのは、忙しい日々の中でリラックスして一息つける大事な時間なのだから。
蛇足だが、中学・高校時代はラジオの深夜放送もよく聞いた。リクエスト葉書を出したこともある。社会人になってからFM北海道のモニターを務めていたこともある。今は、車での通勤の行き帰りにたまに聞くくらいで、ずいぶん遠い存在になってしまった。

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【2007/02/28 00:01】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
今年も宝塚札幌公演が
ふだ
モモコに続いて荷物からなぜか出てきた○×の札・・・Mちー、おもしろすぎる~

<今日でブログ200回目です>
アクセスいただいている皆様、コメントを下さる皆様、いつも本当にありがとうございます。

えー、びっくり。
今年も秋に宝塚の全国ツアー、札幌に来るんですねー!!
雪組の日本物、いいですねぇ。
ショーはあんまり好きな系統ではないのですが。
でも、水さん楽しみ~
しかし・・・心配なのが、花組が大劇場公演中なので、北海道に私が残っているかどうかということ・・・でへへへ。


●ミニエッセー200「私はテレビっ子6・現在観ている番組③」
土・日は旅でいないことが多いのだが、家にいる時に観ている番組としては、土曜日は考えあぐねたがTBS「ブロードキャスター」くらいしか出てこなかった。
少し前は「エンタの神様」も割合観ていた方だったが、今は月に1回観るか観ないかだ。
日曜は、テレ朝「笑いの金メダル」で、大好きなヒロシさんやタカアンドトシに癒される。毎回3時間くらいの特番でもいいと思うくらい好きだ。ずっと続けてほしいが、ヒロシさんをあまり変な海外ロケにばかり行かせないでほしいと言いたい。
日テレ「行列ができる法律相談所」も島田紳助さんの絶妙なトークに引き込まれてついつい観てしまう。紳助さんといえば、ほかの彼のレギュラー番組でもマミさんをゲスト出演させてもらうことが多く、「うちのマミがお世話になっています」という気持ちになる。
気が短いところがあり、いろいろ素行がやんちゃな面もある紳助さんだが、人情家で、生活に遊び心があり、私は嫌いではない。彼が描いた絵を見たことがあるだろうか。美しく、個性的な風景画を描くのだが、感性の豊かさが伝わる。
全体を通しての話だが、スポーツ中継は、「フィギィアスケート」「ジャンプ」(北海道では、冬はジャンプの大会の放送が多い)、北海道勢が活躍する時の高校野球は観るが、サッカーやゴルフやプロ野球、格闘技などにはあまり興味がない。ただ、オリンピックになると、やはり日本人を応援したくてついつい寝不足になりながらもいろいろな競技を追いかけてしまう。
好きだった故・アイルトン・セナが活躍していたころはF1も面白かったが、あの衝撃の中継を見てしまって以来、あまりじっくりと画面を観れないでいる。
特番などでは、心霊もの、透視能力もの、UFOものなど「不思議もの」に弱い。ついつい見入ってしまう。感動のご対面や病気の子供の奮闘ドキュメンタリーなどは、涙が止まらなくなるので、最近はあまり観ないようにしている。
子供のころは極度の怖がりで夏の心霊写真特集などが始まると、ふとんをかぶって観ない・聞こえない状態になっていたが、自分や家族がいわゆる霊媒体質だと分かってからは、怖いという気持ちが一切なくなり、今では「絶対に観なくては」とさえ思ってしまうのである。
例えば心霊スポットを訪ねて行く番組などでは、テレビを観ながら、「あ、そこは本当に霊がいる」「そこは違う」などが分かるので、私にとっては参加できるという点で面白い。
よくテレビに出演されている霊媒師の中では、絶対に下ヨシ子先生の力が抜群だと思っている。それから、最近話題の青森の木村藤子さんも本物だろう。日本でも、未解決事件にそういう特殊能力者の力を取り入れるべきだと私は考えている。
旅先では、ゆっくりテレビを観る時間はそんなにないのだが、たまに、普段北海道では放送されていない番組やCMに興味をひかれることがある。
ローカルなCMには、センスが不思議だったり、古かったり、面白いものが多い。何十年も変わらないようなご当地ものの有名CMソングは、地元の誰もが口ずさめるだろう。北海道にはそんなCMが数多くある。少し長く旅に出ていて、帰ってきてからそんなCMを見聞きすると「ああ、ここは北海道だ」と思ってしまう。
ところで、私は一度仕事の関係で、放送大学のCMに出演したことがある。ほんの一瞬のカットだが、撮影時はそれなりに緊張したものだ。また、自分の職場である大学のPRのためのテレビやラジオのCM制作にも携わったことがある。わずか何十秒という世界を作り出すのにかかる労力や費用は大変なものだ。(続く)


【2007/02/27 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
おさちゃんマルチケース
ももこ
決して「魅惑のチキルーム」から連れてきたのではありません。ホテルに着いてびっくり。Mちゃんのスーツケースから、Mちーがひそかに入れた愛鳥「モモコ」が・・・大爆笑。私も小さい時、旅にお気に入りの人形を連れて行っていたなぁ。

キャトルで売り出された春野さん「マルチケース」なるものを通販で取り寄せました。
一体どんなもの???と思ってましたが、ファイル素材とは・・・。
普通の人は普段使うのが恥ずかしいかもしれませんが、私は堂々と使っちゃうぉっと。


●ミニエッセー199「私はテレビっ子5・現在観ている番組②」
水曜日は、フジ「はねるのとびら」がやめられない。結構な長寿番組になりつつある。どのコーナーも好きだが、特に箸で回転寿司ベルトで流れてくる食べ物を落とさず食べるコーナーや、抱腹絶倒もののとんでもない私服のセンスを持つ北陽の虻川さんと女性ゲストがリズムに乗って言葉遊びをして、負ければ服を取り替えるコーナー、そして100円ではない物であっても選んだ物は実際にレギュラーの芸人さんたちやゲストが買い上げなければならない「ほぼ100円ショップ」が面白い。
そして、テレ朝「オーラの泉」は、できる限り観るようにしている。100%江原さんと美輪さんを支持しているわけではないが、2人の態度は、紛れもなく心温かいカウンセリングであり、それこそオーラがある。普段の自分の行いに照らし合わせて、ゲストへのアドバイスなどを聞いている。司会の国分太一さんも板についてきて、発言も楽しくて良い。
ちなみに、江原さんの著作によってチャートとある動作によって診断した「私自信が持つ最も強いオーラの色」は意外にも「オレンジ色」だ。元気はつらつ、天真爛漫・・・。間違いではないかと、何度もやってみたが、結果は同じで参った。番組では、ゲストでオレンジ色が一番強いと言われた人は私が観ている範囲ではいない。だから、いつか私と同じ人が現れないかということも興味の一つなのである。
木曜日は、7対3の割合でテレ朝「いきなり!黄金伝説」と日テレ「天才!志村どうぶつえん」といったところ。
それから、木曜の楽しみは日テレのボーカリストのオーディション番組「歌スタ」だ。昔、桜田淳子さん、山口百恵さんをはじめ、岩崎宏美さん、ピンクレディーなどを生んだ「スター誕生」と前々回登場した「平成名物イカすバンド天国」をほうふつとさせ、わくわくする。時々、芸能人が真面目に挑戦するのも楽しい。アンタッチャブルの挑戦者サポート役ぶりも、そしてこう言うと驚かれるかもしれないが、東野幸治さんの司会・仕切りぶりも的確で好きだ。東野さんは、変に挑戦者に甘くもないし、審査員たちに対しても適度な突っ込みをする。
彼に対しては、世間は何かとマイナスなイメージを持っているかもしれないが、私は「歌スタ」やほかの番組で彼を見ていると、さすがにベテラン芸人だなといつも感心する。なお、東野さんは、兵庫県宝塚市出身である。(笑)
金曜日は、日テレ「ぐるぐるナインティナイン」で「ゴチになります」のコーナーがある時だけ、注目する。なかなか実際には行けないような高級店でのロケが多いが、参考になるし、何よりメニューの値段を当てるのが醍醐味だ。結構な率でいいセンを言い当てる私は、きっと出演しても自腹で払わなくても済むだろう。
最近、深夜ドラマの「特命係長・只野仁」も観る。ドラマでは唯一だ。この番組を観てから、同じ年である高橋克典さんがちょっと気になるようになった。男は40過ぎてからが本当の勝負だという感じ。彼のドラマは今までも何回か観ているが、これが一番いい気がしてならない。原作が漫画なので現実にはいない人物設定だが、それがいいのかもしれない。(続く)


【2007/02/26 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
マミチャリティー行けず
夜入り口

夜もすてきなTDLでした。

4月上旬にマミさんがシャンソンのチャリティーコンサートにゲスト出演するんですが・・・平日だもんなー・・・行けなくてごめんね(誰に謝ってるんだか)


●ミニエッセー198「私はテレビっ子4・現在観ている番組①」
現在私が時間のある時によく観ている番組について、曜日(北海道で放送されている)ごとに追っていこう。テレビ局は、略して表記する。
なお、CSのタカラヅカスカイステージは、計画表に従って録画し、たいていチャンスのある時に随時観ている。ニュースや公演関連、トークもの、特別番組を優先し、長時間かかる舞台については、後回しにしている。まだ観れていない作品が2年間分くらいたまっている状態である。
毎朝出掛ける前は、家ではずっとNHKを時計代わりにかけている。
また、職場での昼休みは、昼食を取る会議室でみんなでおしゃべりをしながらフジテレビのニュースと「笑っていいとも」のテレホンショッキングまでをかけている。興味ある人や好きな人が出演する場合はじっくり観るが、あとはなんとなく観ている感じである。
夜のニュースは、日によってテレ朝「報道ステーション」、日テレ「ZERO」、TBS「NEWS23」の頻度順である。
深夜、特に観たいものがない時は、「日テレニュース24」かテレビショッピング番組をかけている。
月曜日は、フジ「ネプリーグ」から。自分もクイズに答えながら、時には簡単な字も読めない芸能人にイライラしながら楽しく観ている。
そして、テレ朝「Qさま」だ。深夜番組時代、まだ毎回番組名が変わる方式のころからずっと観ている。その間に司会のさまぁずがずいぶん売れっ子になった。過酷な挑戦をするお笑い芸人の中では、アンタッチャブルの柴田さんがいつも勇気と男気を見せ、かなりすてきな男性に映る。潜水に挑戦するコーナーなどでは、思わず感動してしまう。
お笑い系が続くが、深夜は同局「くりぃむナンとか」を観る。すっかりビッグになったくりぃむしちゅうは、やはり底力がある。
火曜日は、TBS「学校へ行こうMAX」でV6の坂本君を観るか、気になる内容ならば同時間放送のテレ朝「最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学」で自分を心配する。
後は、テレ朝シリーズで「ぷっすま」、人気の大泉洋さんが出るローソンとのコラボレーション番組「おにぎりあたためますか(北海道ローカル・HTB)」、起きていれば爆笑問題の「検索ちゃん」でひたすら笑い続ける。
こうしてみると、火曜はなかなかテレビデーのようだ。(続く)




【2007/02/25 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
今回はコメントも
夜親子
ちゃんと光物を持参してきたMちゃん親子です。

CSの「こだわりリクエスト・悪役編」。今度はリクエストばかりではなく、コメントもそのまま採用されてしまいました。
毎回、私ばっかりで本当にいいのだろうか。
CSといえば、今日は木村先生とおさあさ鼎談番組ですよん。楽しみやぁ。


●ミニエッセー197「私はテレビっ子3・平成になってから」
私は1988(昭和63)年に結婚した。翌年1月初旬からは平成に入ったので、平成になってからのテレビのことというと、結婚してからのことになる。
主人は天皇陛下ご夫妻のご成婚時代の生まれなので、テレビの申し子ナンバーワン。例にもれずやっぱり「テレビっ子」である。テレビのリモコンが常に自分のそばにないと不安なようだ。
そんな主人は、私と違ってスポーツ観戦が好きだが、2人の観たいものが重なれば昔とは違って録画という手があり、2人が一緒の時は居間の唯一のテレビで同じ番組を観るという新婚時代だった。
しかし、そのうち私の宝塚ファン生活や主人のスポーツ観戦趣味の充実とともにBS放送やWOWOW、スカイパーフェクトTV、そしてスカイステージを観るためにスカパー2への加入と、テレビのチャンネルの選択の幅は増え、さらに地上デジタルテレビになって、テレビの台数もビデオ、DVDデッキなども増えた。
今や2人の見たいものが重なるのではなく、それぞれが観たいものが幾つも重なる事態が起き、どれを観てどれを録画するか、まあ毎日忙しい。とにかく、テレビっ子夫婦は贅沢なテレビ環境にいる。
さて、平成になってから、テレビ界もいろいろ変わってきた。歌番組が減り、バラエティー番組やドラマ、それにニュース番組が充実してきたのである。
私は宝塚ファンになってから宝塚関連以外のテレビ番組を観る機会がぐっと減ったのだが、その中でも少し前までのことを振り返ると、一番印象深いのが、「平成名物・イカすバンド天国(イカ天)」である。
実は、イカ天・バンドブームは意外と短かったのだが、認められなければ画面が小さくなり、やがて消えてしまうというシビアな素人の勝ち抜き方式、人気者になっていくバンドのキャラクターや楽曲の新鮮さ、審査員のキャラクターなど、本当に面白かった。音楽をやっていた同級生も出演した。
当時はずいぶんイカ天出身バンドのCDを買い、歌を聞いたものだ。中でも「マルコシアス・バンプ」のセンスには舌を巻いた。
それから、ビートたけしさん、明石家さんまさんらの人気を不動にしたフジテレビ「俺たちひょうきん族」に象徴される第一次お笑いブームの後、下火になったお笑いの世界を再びじわじわと盛り上げたのが「タモリのSUPERボキャブラ天国」ではないだろうか。
この番組は、タイトルも形式も進化していったのだが、途中から始まった芸人が短いネタでランキングを争うコーナーは次第に人気になった。現在一線で活躍しているお笑いスターたち、例えば爆笑問題やまだ海砂利水魚と名乗っていたくりぃむちしゅうがまだまだ新人として数多く挑戦していた。
大人になってからあまりドラマを観なくなった私には珍しく、「愛していると言ってくれ」にははまった。作品というよりあのころのトヨエツこと豊川悦史さんにはまった。すてきだった。
そして昨年の韓国ドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」にも相当久しぶりにはまったわけだ。
そして、主人ともよく話すが、子供のころは「どうして大人はつまらないニュースやドキュメント番組をよく観るのだろう」と不思議に思っていたが、いつしか自分たちもそうなっていた。
今は作られたドラマよりも現実の事件の方が衝撃的でドラマチックで、胸に響いてくる。そういう時代だからこそドラマが面白いという人もいるが、私は自分が小説や脚本を書く人間なので、どうしても「こんな話なら自分も書ける。書けないようなものが観たい」と思ってしまうのだ。
そういう意味で、物語を超える生身の人間の現実と透視能力のすごさをを見せ付けられていたテレビ朝日の「TVのチカラ」が終わってしまったのは残念でならない。
深夜はよく「スター・トレック」のシリーズを観ていた。中でも、何シリーズ目かのキャラクター、アンドロイドのデータが好きで、映画も観に行った。(続く)

【2007/02/24 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
CS明智座談会
戴冠式

この向こうでは、「シンデレラの戴冠式」が行なわれていたのですが・・・すごい人でほとんど見えず・・・

先週のことですが、CSで明智座談会「NOW ON STAGE」を観ました~。
合間の映像が稽古風景でなくて初日ダイジェストなのがよろしい。そうでなくっちゃ。
まだ生の舞台を観る前ですが、なんとなく感じているおさたちの「戸惑い」が感じられて、相変わらず素直なとこが良かったですね。
一花ちゃん好きな私。スターの一員に入っていて嬉しかったなぁ。
あー早く舞台観たいぞぉ。

今日は1日札幌へ取材出張。夜はいよいよ旅の荷造りだぁ!!


●ミニエッセー196「私はテレビっ子2・なつかし編②」
バラエティーで思い出すのは「天地真理さんの司会していた番組」「スター誕生」「8時ダヨ!全員集合」「金曜10時うわさのチャンネル」「カックラキン大放送」「テレビ探偵団」「本物はだれだ」「ラブラブショー」「フィーリングカップル5対5」などだ。
ドラマは、なんと言っても「太陽にほえろ」が印象深い。私は推理もの、刑事・探偵ものが好きだったので、「キーハンター」「Gメン'75」「夜明けの刑事」「噂の刑事トミーとマツ」「特捜最前線」「横溝正史シリーズ」「森村誠一シリーズ」などをよく観た。
推理ものと言えばタイトルは忘れてしまったが、事件のドラマを見てクイズ形式で犯人や手口を当てる番組も好きだった。
また、「奥様は魔女」「金メダルへのターン」、森田健作さんの「おれは男だ」、村野武範さんの「飛び出せ!青春」、中村雅俊さんの「われら青春」、加山雄三さんの「高校教師」、水谷豊さんの「熱中時代」も忘れられない。
それから、山口百恵さんの「赤いシリーズ」や堺正章さんの「時間ですよ」(その後の同じ放送枠「寺内貫太郎一家」「ムー一族」も)、「3年B組金八先生」も欠かさず観ていた。
このごろはお笑い系番組に押され、純然たる歌番組がめっきり減ってしまったが、昔はさまざまな歌番組があり、もの心がついてから高校時代くらいまでは、歌番組を一番愛していた。歌手にもなりたかったし、私は西城秀樹さん、すぐ下の妹が野口五郎さんのファンだった(今も応援している)ため、彼らの出演番組を見逃した時の悔しさはひどいものだった。
「紅白歌のベストテン(のちにトップテン)」「ロッテ歌のアルバム」「ザ・ベストテン」「レッツゴーヤング」「夜のヒットスタジオ」のほか、各テレビ局の音楽賞ものやNHK紅白歌合戦も当時は本当に楽しみだった。
特にフジテレビ系「夜のヒットスタジオ」には格別な思い入れがある。実は、番組が始まり話題になっていたころ、わが家ではフジ系とテレビ朝日系が見れなかったため、話題についていけず、悔しい思いをしていたのだ。
当時は特別なアンテナを付けなければいけなかった。中学1年で父の転勤により引っ越した先では、すでに電波が届いていて特別なアンテナなしでそれらの局も観ることができ、大変嬉しかったことを覚えている。
だから私はテレ朝系で放送されていた大ヒット漫画のアニメ「キャンディ・キャンディ」の最初の方は観ていないのだ。漫画は読んでいたが、いつも友達の話を聞いてひたすら動くキャンディを想像していただけであった。
また、北海道ではテレビ東京系列であるTvh(テレビ北海道)が開局したのは平成元年なのである。つまり、それまではテレビ東京の番組はほんの少しだけがほかの局で放送されていただけである。従って、私にとっての「なつかしいテレビ番組」は、どうしてもテレ東のものは少ない。
子供のころ、フジ系の「ピンポンパン」「サザエさん」、テレ朝系の「ドラエもん」などの思い出などがないのは、当時観れなかったせいなのである。
ただし、最初から観れていたはずの日本テレビ系のアニメ「ベルサイユのばら」も登場しないのは、時々目にはしていたが、歴史が分からず漫画も読んでおらず、単に観ていなかったためである。宝塚ファンになってからあわててレーザーディスクを買い、その晴らしさをようやく堪能した次第である。
わが家では、父が大のジャイアンツファンだったため、野球中継の時はどんなに観たくても裏番組が観れず悲しかったが、それ以外は観たいものを観せてもらっていた。そういえば、父に結果を聞かれるので相撲中継もよく観ていた。
私が自分の部屋に自分のテレビを持ったのは高校2年くらいだった。いただきもので白黒テレビだったから参ったが、それでもうれしかった。(続く)


【2007/02/23 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
わたるさんに会える
スプラッシュ

いざ、スプラッシュマウンテンへ。急流すべりの瞬間記念写真では、一応恐怖を隠して作り笑顔で映り、爆笑されました。

5月下旬、マミさんの舞台などで上京する際、OG・湖月わたるさんがご出演の舞台「くたばれヤンキース」を青山劇場(久々や~)で観たいと思い、先日チケットを購入しました。
昔、あこがれたことがあった川崎麻世さんや、OGのかりんちょさんこと杜けあきさんにも会えるのが、今から楽しみです。


●ミニエッセー195「私はテレビっ子1・なつかし編①」
1964(昭和39)年生まれのわっちさんは、テレビっ子である。「子」という歳かという突っ込みが聞こえてきそうだが、1964年という年に生まれた人は、「テレビの申し子ナンバー2」といえる理由がある。
その年の夏から秋にかけて日本は東京オリンピックで大盛り上がりだった。私は12月生まれなので、正確には「東京オリンピック以降の生まれ」になるわけだが、両親に聞くと、それまでテレビがなかった家庭も東京オリンピックに合わせて購入したケースが多かったという。
「ナンバー2」というのは、それより5年前の1959(昭和34)年に現在の天皇陛下ご夫妻のご成婚があり、その模様をテレビで観ようと、そのころかなりの家庭にテレビが普及したからである。
私の家では、私が小学校に上がってからカラーテレビに切り替えた。それまでは、「白黒テレビ」だった。それにもきっかけがあり、1972(昭和47)年の冬、わが北海道の札幌市で開かれた冬季オリンピックまでにはカラーにしようというものだった。
そして、日本人、道産子が大いに活躍したその札幌オリンピックの熱気も冷めやらない、閉幕の6日後くらいだったと思うが、学校から帰ってきた私はテレビで衝撃的な映像を目にすることになった。
「浅間(あさま)山荘事件」である。ほとんどのテレビ局が事件現場を生中継し、人質の無事を祈って家族で観ていた記憶がある。
赤ちゃんの時からテレビに釘付けで、主題歌などを覚えて歌いまくっていたという私だが、一番古い好きだったテレビ番組の記憶は「オバケのQ太郎」、次は「ロンパールーム」「トッポジージョ」である。それから、ドラマ「ガードマン」。渋い。
カラーになってからは、朝は「おはようこどもショー」を観ていた。夕方はNHKの「少年ドラマシリーズ」。これは中学生ころまでずっと観ていた。
アニメや子供向けドラマではナンバーワンとして挙げたいのが「ふしぎなメルモちゃん」だ。本気で大人になれたり子供になれたりするキャンディーが欲しかった。デザイナーのココ・シャネルの若かりしころを描いた「モンシェリー・ココ」を夢中で観ていた時はデザイナーにあこがれ、バレエドラマ「赤い靴」を観ちゃあバレリーナになりたがり、「サインはV」を観ればバレーボールもいいなと思い、妹と特訓ごっこをするという、何ともテレビに影響されやすい子の代表だった。
「好き好き魔女先生」「ケンちゃんシリーズ」「いなかっぺ大将」「はくしょん大魔王」「みつばちマーヤのぼうけん」「チキチキマシン猛レース」「妖怪人間べム」「サンダーバード」「ゲゲゲの鬼太郎」「天才バカボン」「巨人の星」「宇宙戦艦ヤマト」「仮面の忍者・赤影」、舞台型ヒーローもの「突撃ヒューマン」、3D放送の「オズの魔法使い」・・・キリがない。
弟がいたこともあるが、自分自身としても男の子が好んで観るようなヒーローものも好きでよく観ていた。「ウルトラマンシリーズ」「仮面ライダー(再放送)」「キカイダー(再放送)」「怪傑ズバット」などだ。
ただ、だんだん大人になっていたので「ゴレンジャー」や「ガンダム」シリーズは観ていない。(続く)

【2007/02/22 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
遅くなったけどかしるい幸せに
おやつ
私の3時のおやつ。おやつにしては・・・食べ過ぎたかも。

先日、CSの宙組東京千秋楽ニュースで、先週退団したかしちゃん・るいちゃんの様子を観ました。
最後まで笑顔で、素晴らしかったですね。
これからも健康で幸せに歩んでいただきたいです。
ファンの皆様、本当にお疲れ様でした。


●ミニエッセー194「携帯電話のこと3」
とにかく持っていないと、触れていないと不安になり、頻繁にメールチェックし、たいした用もないのに電話やメールをする「携帯電話依存症」とまではいかないにしても、毎日当たり前に利用していると、アドレス・メモ帳代わりでもあり、ないと不便なのは確かである。
例えば、昔ならば、細かく決めていた待ち合わせ場所も、互いに携帯電話があるからと「だいたいの場所でいい」ということにしていないだろうか。そんな時、それぞれにカン違いが生じ、携帯電話を忘れると、今は大変なことになる。
一方はなぜ電話やメールに応えないのだと腹が立つだろうし、忘れた方は、公衆電話を探すのも大変だろうし、かけ方さえ戸惑うだろう。いや、第一電話番号が分からないかもしれない。
かつては旅へ出る時、いつどこに泊まり、その連絡先は・・・などといちいち家族に書き置いていたものだが、携帯電話さえあれば緊急時でも連絡が付くからと、今は私の主人は行き先さえ詳しく聞こうとしない。そういえば、ホテルの部屋の呼び出し電話なぞ、なくなった。
ところで、久しぶりに公衆電話を利用して、そのかけ方を実際に忘れて焦ったことがある。受話器をあげてからテレフォンカードを入れるべきなのに、先にカードを入れようとしたり、余計な市外局番を押してしまったり・・・。
携帯電話とて、壊れたり、電池が切れたら使えないただのモノである。特に旅にはテレフォンカードと、主要な関係者の「紙に書かれた本来のアドレス帳」の携帯は、忘れてはいけない。
勤務時間内での全く個人的な携帯電話での電話やメールのやりとり、外部の会議や研修会などでの電源切り忘れ(許される範囲でのマナーモード設定し忘れ)は、社会人として恥ずかしい行為である。が、私はいまだかつて100%きちんと守られている場にいたことがない。
電車でもあれだけ「優先席付近では電源を切り、それ以外ではマナーモードに設定し、通話はおやめください」と注意アナウンスがあっても、毎回着信音は鳴るし、3回に1回通話するやつに出くわす。観劇やコンサートなどでも、必ず迷惑な人がいる。
も早携帯電話は生活の一部なのだから、使い方以上にマナーもスマートに守ってもらいたい。
PCや機械に囲まれ、電磁波による健康被害なども気になるところだ。携帯電話を携帯しているというより、人が携帯電話に振り回され、支配されかけていると言えなくもなさそうだ。
ところで、次は何色を買おうかな・・・。
【2007/02/21 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
東京楽だけ当たる
ステッチ

Mちーが最初に買ったスティッチのカチューシャ。今、なぜスティッチが人気なのかな。・・・私はステッチだと思っていたよ・・・。

東京明智・・・なんと千秋楽だけ当たりました。
東京ではこんなこと初めてかも!!
うれぴー
けれども、またまたほかの自力用意が必要な分を探す日々が始まるんだなぁ・・・

昨日、歯医者で治療した虫歯。まだじわじわ痛いっす。


●ミニエッセー193「携帯電話のこと2」
通話より断然、メールの利用が多い。相手はきょうだい・ヅカ仲間・母が多いだろうか。主人とは、私が旅に出た時に電話が通じなかったりすると短くやりとりするくらいだ。
それから、おさちゃんのファンクラブからの連絡は自宅のメールから携帯に転送されるようにしている。
私の携帯電話には、しっかりした防止機能が付いているので、迷惑メールがないのはとても助かる。いたずら・迷惑電話の着信もない。
ちなみに、私は右利きだが、なぜか携帯電話のメールをはじめ、ボタン操作はすべて左手でする。というより、右手でできないのだ。最初から何気なく左で持つうち、慣れてしまったからだろうか。慣れとはすごいものだ。しかし、周りに聞くと、やはり左手を主として使っているという人が多いようだ。
携帯電話でのメールでは、一文字変換でも前に使った文字がちゃんと候補で出てくるから楽である。最近は心理描写に助かる絵文字も電話会社共通で使えるようになった。うれしい。
メールのほかには、毎日目覚まし時計機能を利用している。朝に弱い私は、家でも旅先でも通常の目覚まし時計やモーニングコールのほかにその時々に聞きたい曲で目覚めるようにしている。が、寝ぼけ癖のある私は、あまり心地よい曲だとついついじっくり聞いてしまい、気持ちよくなって二度寝してしまうので、注意しなければならない。
腕時計を忘れた時は、正確な時を刻む時計代わりになるのも携帯電話のありがたい点だ。いつもデジタルカメラを持ち歩いているが、もし忘れてもカメラ、ショートムービー機能などもあるのは助かる。また、滅多に使わないが、メモ用紙&筆記用具代わりにもなる。
携帯電話のインターネットは、たまに天気予報を見るのと、音楽のダウンロード以外はあまり使わない。自分のブログの確認や投稿も携帯電話からはしない。普段のPC生活を思うと、画面の小ささや反応の遅さにイライラするのだ。
実はテレビ・ラジオ機能も付いているのだが、料金がかさむので、利用していない。方向に明るいので、GPS機能も使うことはほとんどない。オサイフケータイなどとしての利用もしていない。実に宝の持ち腐れ状態だ。その辺りはさすが、私の携帯電話の持ち主(笑)は「昭和の人」だ。
旅の移動中などは、携帯電話さえあれば、おもちゃ感覚で結構「手持ち無沙汰」を免れることができる。しかし、電車やホームや歩きながらでも、猫も杓子も携帯電話を覗き込んでいる姿は、今や日本の当たり前の風景になったとは言え、なんだか寒々しい気持ちもしないでもない。連れがいてもそれぞれが無言で自分の携帯電話の世界に心をはせている光景は、いかがなものだろう。(続く)
【2007/02/20 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(4)
今回も良かったお笑いライブ
ぞうさん
ジャングルクルーズのぞうさん・・・年中、お疲れ様です!!

昨日、妹2人と行って来た札幌でのお笑いライブ。前回に続いて、とっても楽しかったです!!
嫌なことも忘れ、めっちゃ笑いました
出演は売れっ子の方々ばかりで、南海キャンディーズ、大好きなヒロシさん、ますだおかだ、猫ひろし、安田大サーカス、ドランクドラゴン、桜塚やっくん(きれいでした)、トリはアンタッチャブル。
ネタとしては正統派のコントをやったドランクドラゴンが良かったです。が、男性としてはかわいいヒロシさんと、男らしいアンタの柴田さんに会えて幸せでした。
幸運なことに席も良くて、やっくんがCMをする化粧品会社からの化粧品のお土産付き。
これで4,000円。ホント、宝塚のことを思うと安すぎるよ~。


●ミニエッセー192「携帯電話のこと1」
初めて携帯電話を持ったのは、今から15年くらい前だったと思う。確か、宝塚ファンになって1年後くらいだった。そのころは、まだ周りで携帯電話を持っている人はあまりいなかった。その数年前から仕事では目にしていたが、まるで、昔のトランシーバーや家庭電話の子機のように大きめな物だった。
それでも「キャリアウーマンは持っていなくては」と、必死に持ち歩いていた。しかし、使える範囲も限られていて、最初のうちは「本当に便利なのか?」と疑問だったものだ。
そのうち年々小さく薄くなり、スタイリッシュになっていったし、みんなが当たり前に持ち、利用するようになった。
最初は流行の最先端だったはずの私も、実はメール・カメラ・ネット機能付きが普及して1年ほどは旧式のものを変えずにいたため、すっかり若い人たちに追い越されて、その後やっと追いついたという感じだ。
この約15年間で、切り替えて持った総台数は5台である。恐らく、少ない方だろう。1年とは言わずに、すぐ新機種に変える人もいるが、私は使っている携帯電話が愛おしくなってしまうのと、そんなに機械モノが得意ではないため、切り替えをすると使い方を覚え直すのが怖いということもある。いよいよ電池の消耗が激しいとか、壊れたとなるまで、ぎりぎりまで使い込んでいる。
今はデータを移し変え、使用できなくなった古い携帯を記念に持っていることが可能だが、昔は取られてしまっていた。だから、最初の2台が手元にないのが残念だ。
皆さんは、一定の携帯電話会社の物の中では、携帯電話自体何を重要視して選ぶのだろう。私は、ここ2台は同じ大手電器メーカー(データ転送ができ使い方が似ていることから)で、さらに単純に「色」で選んでいる。機能やデザインというより、とにかく「今までと違う色」が基準なのだ。
ちなみに、今まで黒(というか色が選べる時代ではなかった)・水色がかったグレー・黒・白&紫ときて、今はピンクである。
人と同じ物を持つのがあまり好きではないので、幾つかシールを貼って見た目を変えており、ストラップ類も7個くらい付けている。
携帯電話を入れるポケットが付いていないバッグを使う時だけ、携帯電話ケースを使用している。せっかく、いろいろなケースを持っているのだが、使い勝手の良い物は決まってしまうものである。
前回は初めて壊れてしまって変えたのだが、とても好きな色とデザインだったし、カメラが充実していたので、かなり残念だった。しかし、現金なもので、たまたま今の物が音のクオリティにこだわった機種だったため、ダウンロードした音楽や着信音などがとてもきれいなので、自慢の一品になった。2005年の秋から使っているが、またなるべく大事にしたいと思っている。
それにしても、さまざまな機能が付きすぎていて、使い切れないのでもったいない感じもする。(続く)

【2007/02/19 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
お茶会申し込んだどー(泣)
くさなぎくん
スマップのくさなぎ君に似ていたジャングルクルーズのお兄さん。私たち女3人は「本物よりすてき」とはしゃいでました。

<アクセス数3万件へのお礼>
当ブログへのアクセス数が3万件を超しました。皆さま本当にありがとうございます。これからもそれを励みに、毎日書きますので、よろしくお願いいたします。

さて、おさちゃん東京お茶会の申し込みを済ませました。
ついでに泊まるホテルも決めました。定宿ですが。
そんでもって・・・突然、お茶会当日のはずのFCのある行事が翌日になり、せっかく取った飛行機をキャンセルし、別日に変え、宿泊も増やし・・・
もーーーーーーーーーーーーーーー
破産やーーーーーーーーーーーーーー

本日は3姉妹で桜塚やっくんや大好きなヒロシさんが出演する札幌でのお笑いライブに行ってきます~
ご報告は明日!!


●ミニエッセー191「ペットの話10」
数年前から、日本では空前のペットブームが起こり、今はもうブームではなく、ペットとの共存は特別なことではない時代になった。それは、セレブリティな地域に限らず、田舎町でもペットを連れて散歩している人が目に見えて増えていることからも明らかである。
ペット産業も発展し、ペットを連れて入れる店やホテルやカフェ、ペットOKのマンションも増えた。従来のペットショップ、小動物対象病院の充実に加え、ペットの健康・病気予防・精神的ケア・ファッション関連の事業も数多く展開されている。
それ故に発生するさまざまな社会問題もある。ペットを愛する人の心につけこんだいろいろな詐欺や人気の動物の盗難、営利だけを追求したテーマパークの破綻、動物放置や虐待などの犯罪、無理な繁殖や品種改良、飼い主のしつけやマナー、散歩時の交通事故などである。
それらの問題に日々ボランティアで立ち向かっている活動団体や個人には、頭の下がる思いがする。
私は決して動物の専門家ではない。しかし、多少仕事でかかわっている者として個人的に思うことは、今のこの状況は、ペットを飼うことが可能な環境や経済的ゆとりがあるという良い面の表れでもあると思う一方、それだけ少子化が深刻であること、それから癒しを必要とするストレス社会に生きる人間の「寂しさ」「心の危機の信号」を少なからず象徴しているのではないかということである。
ともあれ、体験からも、ペットを飼うことで生き物同士の情愛を知り、命の尊さを学び、優しさや温かさが芽生えることはとても良いことであると思う。いじめ問題の解決にも役に立つ気がする。
また、警察犬・盲導犬や介護犬、また心に悩みや傷を持つ人たちや高齢者などのアニマルセラピーとして活躍し、役立っている動物がいることには、心から敬意を表したい。
けれども、忘れてはいけないのは「命を預かり、育て、共に生きるという行為が誰もがどんな状況でもできるとは安易に考えない」ということではないだろうか。ペットは思いのままになるものでも、勝手に可愛がればそれで良いという存在ではない。ましてやストレスのはけ口でもない。共生の環境を整え、同じ生き物として意志を尊重し、助け合って生きる強い覚悟を持った上で楽しい「ペットのいる生活」を送っていただきたいのだ。
このシリーズの最後に、私が先日仕事で取材した「生き物にいろいろなことを教えてもらって生きる。それだけで幸せ」という方の言葉を紹介したい。
「人も牛も馬も犬も猫も魚もミミズも同じ生き物。能力や役目の違いがあるだけで、人間だけが偉いわけでも、特別な存在でもない。動物たちは人間のように責任をなすりつけ合ったり、生きることを放棄したりしない。健気に与えられた生を精一杯全(まっと)うする動物の方が立派だと俺は思うよ」―。
【2007/02/18 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(4)
明智プログラム見る
冷蔵庫
ミニーちゃんのお家の冷蔵庫の中。わが家よりいい物が入っているかも・・・。やっぱりチーズがありました。

通販で頼んだ村の明智プログラムをじっくり見ちゃったもんね~。
ヅカノートに役名と生徒名を書いちゃったりして。
てへへ~(完全あやしい人)

ななちさん、手術うまくいって良かった!!


●ミニエッセー190「ペットの話9」
S子以外のきょうだいもペットを飼っている。
妹のA子は、独身のころは特別動物好きではなかったが、だんなさんや2人の息子が動物好きで、最初は白くて大きめな雄猫を飼い、そのうちにもう1匹やはり白い雄猫を飼うようになった。その2匹はけんかもしない代わりに干渉もし合わないクールな関係だ。
ある日私はA子に聞いた。「なんか、孤高な猫たちだけど、かわいいかい」と。
「やっぱり一緒に暮らしていればかわいくなるもんだわ」。やっぱりそういうものなのだろう。
ちなみに、最初からいた方の猫は、たまにしか会わなくてもちゃんと私のことを知っていて、威嚇したりしないが、もう1匹は警戒心が強く、めったに近寄ってこない。
そして、数年前から雄の小型犬も飼い出した。猫とけんかもするし、持病があり大変なようだが、手が掛かるほどかわいいらしい。4人家族プラス2猫、1犬。なんともにぎやかなA子一家だ。
道内だが唯一遠くに住んでいる弟は、独身時代1人暮らしが寂しいと、高貴な感じの血統書付きの雌猫を飼っていた時期があるが、やがて自分が猫アレルギーだと分かり、残念ながらその猫は人に譲ってしまった。
結婚してからは、お嫁さんM子と2頭の雌の大型犬(ゴールデンとラブラドール・レトリーバーのハーフのピースとバーニーズ・マウンテン・ドッグのラブ)と共に暮らしている。
最初は「匹」と数えても良いくらい2頭とも小さくてかわいらしかったが、さすがにでかくなった。こう言ってはその犬種が好きな方に叱られるかもしれないが、ラブは一見ヒグマのようだ。
ピースは、穏やかで利口な犬だが、繊細すぎて弟が少し家を空けると体調が悪くなる、いわゆる飼い主依存症のようである。弟が絶対の存在のようだ。
元気いっぱいのラブは、何も芸ができないそうだが、特にM子になついている。
M子も無類の犬好きだ。出掛けるのもままならないし、自分の体より大きい2頭を散歩させたり、よくぞ世話していると感心する。
2頭の餌代はかなり掛かる。だから、弟夫婦は一生懸命働いている。(続く)





【2007/02/17 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(6)
東京明智友会申込み
スモール
ほのぼのする「イッツアスモールワールド」の中で。

花組ファンのみなさま、東京明智、友会申し込みは本日までですよ~。お済みですか。
私は忘れないように2/13の短い昼休みに必死にやりました。
村が全然あかんかったから、せめて1つでも当てたいわっちでした。


●ミニエッセー189「ペットの話8」
「はな」の死をきっかけにドッグメディカルアロマセラピストなどの資格を取ったS子が今から1年半前に次に新しい家族として迎えたのが、愛嬌抜群の雌のロングコートチワワ「ななちさん」こと「なな」である。
こちらも表情豊かで、ブログ「わんこのきもち社長日記」のアイドルである。
最初は黒い(ブラックタン)ので、ちょっとタスマニアデビル似では・・・と思っていたが、成長するに従ってかわいらしく、女の子らしい顔つきになった。
体はとても小さいが、バランスの良い体系で、走る姿は実に格好が良い。とにかく好奇心旺盛だ。時には自分より大きい犬にでも向かっていくほど元気いっぱい。誰とでもコミュニケーションを取りたがり、構われたがりなので、とにかくかわいがられている。
この人なつこさは、束縛を嫌い、あくまでもマイペースな兄犬・コジとは正反対である。また、大人しいコジに比べると、特に新しい事象には結構ほえて何かを表現する方だ。
コジは、「なな」がやってきたころは「なんだ、まだ赤ちゃんじゃないか」という認識だったのか、異性としての興味はおろか、存在を無視している感があったが、そのうちに時々おてんばにちょっかいを出してくる妹分との共同生活にも慣れ、一応大人な態度を示しているようだ。
お客さんが大好きな「なな」。先日は、私がS子の家を訪ね、ちょっと顔のマッサージをしてもらおうと仰向けになると、いち早く私の胸の上に乗っかってきて顔を覗き込んできた。「ちょっと、ななちさん、どけてよ~」と言うと、ますます面白がってふざけて顔をなめてきた。自分もS子母さんに負けじと、私にマッサージしてくれるつもりだったらしい。
そうやってスキンシップを求められると、ますますかわいいと思えるので、飼い主が「親ばか」になってしまうという気持ちもよく分かる。
「なな」の、まさに人見知りせず、あきらめずに歩み寄る姿勢には、学ばなければいけないなといつも思う。
愛想が良く、よく飛びはねる「なな」を見ていると、不思議なことにS子の小さいころとそっくりだなと思う。生後3カ月くらいでやってきたせいか、「なな」は人間のような仕草をすることが多い。活発なのは何よりだが、どうか、怪我のないようにしてもらいたい。(続く)
【2007/02/16 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
明智ダイジェストを観て
入場

本日からしばらくTDRの旅で撮った写真やゲットしたグッズなどを紹介していきます。
ちょうどバレンタインの時期。ランドの入り口もかわいらしかったです。

本日は一日中札幌で取材なので、大変ながらも気分転換ができるかなと思っています。

さて、先日CSで初日のダイジェストである「ステージ・インフォメーション」を観ました。
初日の堅さがあるものの、おさ明智はのびのびやっているような気がしました。彩音ちゃんはまだちょっと力みすぎかな。
ショーはやはり構成にメリハリがなさそうですが、生徒たちが楽しくやれるようになったら良いものになることでしょう。私としてはいろんなおさちゃんが見れると良いのですが・・・。
次は週末の座談会が楽しみです。


●ミニエッセー188「ペットの話7」
2年半前、将来はコジのお嫁さんに…と、両親が生まれたばかりの雌の白いロングコートチワワを購入した。人間によくなつき、まるでぬいぐみのようなあいくるしさで家族や近所のみんなにかわいがられたその子は「はな」といった。
しかし、彼女の一生はとても短いものになってしまった。
数カ月経ち、「風邪でもひいたのだろうか。成長が遅く、なんだかやせたようだし、体がだるそうだ」と私は感じていたのだが、やがてかかりつけの動物病院で下された診断は「ジステンバー」。死亡率の大変高い犬の伝染病である。仲良くさせるつもりのコジとは離さなければならなくなった。
多くの動物を扱う某大学病院では、危険な伝染病として来院を拒否されたが、やっと入院させてくれる病院が札幌に見つかって、しばらく一進一退が続いた。
落ち着いたからと帰されたものの、苦しそうな状態は続き、お見舞いで会うのもつらいくらいだった。こんな小さな体で、苦しくとも懸命に食べ、生きようとしている命がある一方、自殺したり殺し合ったりする人間が、むなしく卑怯に思えて仕方なかった。
両親やS子やわれわれ家族の必死な祈りや手厚い看護も力及ばず、ついに奇跡は起きなかった。
両親の落胆は激しかった。特に父は声をあげていつまでも泣いていた。とても悲しかったが、たくさんの人にその死を悼んでもらった彼女は、幸せだったと思う。
小さくて立派な棺に横たわり、本当に天使のような真っ白い死に装束に身を包み、皆さんからいただいた色とりどりのきれいなお花に飾られて、杖を持ち旅立った「はな」。きっと、苦しみから解放されたからだろう、その顔は生前よりさらにかわいく見えた。
生を続けるという奇跡は起きなかったが、その安らかさ、清らかさは奇跡だったのではないかと私は感じた。人も動物もどのくらい生きたかが問題なのではない。天命をどのように生きたかということに意味がある気がする。
縁あって彼女が両親の元にこなければ、もっと寂しい最期だったかもしれない。短くとも、たくさん愛をふりまき、また愛を注がれた良い生涯だったに違いない。
きちんと検査したうえでペットを販売しなければならないはずのペットショップが見逃したのか、知っていて販売したのか知らないが、どうやら「はな」は生まれつき病原を持っていたようだった。課題は残った。
けれども、「はな」の死によって、両親はコジやその後に家族になった「なな」を一層かわいがり大事にし、コジたちはますます健康になることになった。
また、S子は動物の病気ケアに役立つ資格を取り、個人事業を始め、ほかのわんちゃんたちの健康維持にもかかわることにつながった。やっぱり「はな」は奇跡を起こすために、私の両親のところへ来てくれたのだろう。本当にありがとう。(続く)

【2007/02/15 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
明智ラガール申し込み
座浴コーナー
座浴サロンのかたすみ。なんだかほのぼのです。座浴いすのミニチュアもかわいいです。

本日はバレンタインデーやね。
わっちさんはもう昨日職場の後輩であり、とても美しいヅカ仲間にチョコレートをいただき、たいらげてしまいました。おいしかったぁ・・・って、あれ・・・わっちはあげる方だったっけか・・・。

今回は観劇の旅が遅くなるので
公演ポスター柄「ラガールカード」(関西の地下鉄・阪急線などで使えるプリペイドカード)を通販で申し込みました。
花組に関しては未使用保存用と実際の使用分をいつも購入しています。
阪急系第一ホテルグループカードのポイントもたまるたびにラガールカードと交換していますが、とても助かります~



●ミニエッセー187「ペットの話6」
コジはとにかくマメに面倒を見てくれる父(私やS子の)が大好きだ。S子の家より実家(われわれは、わんこ保育園と呼んでいる)にいる方がよほどリラックスするらしい。言うなればコジは「おじいちゃん子」だ。
S子の父らしく、元来生き物好きの父は、すっかりコジの飼い主のようになっていて、週に3度ほどは仕事で出掛けるが、それ以外や夜間は、ほとんどコジと一緒である。
コジはもちろん、父の言うことを理解しており、父の呼び名が「お父ちゃん」であることも分かっている。テレビの画面にお父ちゃんに似た人が映ったり、似た声が聞えてくるとじっとテレビの前に座って観るほどである。また、父もコジの行動パターンや癖、意思表示の意味もすべて熟知しており、孫に甘いおじいちゃん状態である。
ただし、食生活に関しては、健康維持のため「わんこのきもち」代表が提言する一定のルールがあるため、何でもかんでも食べさせるというわけにはいかない。
「わんこ保育園」でのコジの食事は、主に母が面倒見ているため、コジはお腹が空けば母に甘えるようだ。母が台所に立つと、「自分のごはんかおやつを作っているのかな」と思うらしく、台所に様子を見に行く。コジが言うことを聞かない時は「お母ちゃんに逆らったらごはんあたらないよ」が母の決めセリフである。
母にとってもコジや「ペットの話8」に登場予定の「なな」は、かわいい孫のような存在である。何せ両親にとって、その成長が楽しみな人間の孫は今のところ二女の長男・二男だけだが、すでに2人とも高校生なのである。長女の私は子供を生まなかったので、コジやななには、感謝の気持ちでいっぱいだ。
彼らの存在が、両親の張り合い、癒しになっていることは間違いない。だから彼らには、できる限り長生きしてもらいたいと思っている。
ところで、父とコジの絆は、美輪明宏さんとスピリチュアルカウンセラーの江原啓之氏が出演している「オーラの泉」(テレビ朝日系)風に言うと「前世でつながりがあった」としか思えない固さである。きっと来世でも2人(?)は出会うことだろう。(続く)

【2007/02/14 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
うたかたDVD
ななまる
猫のようにまるくなった「なな」。明後日避妊手術とのこと。早く回復しますように・・・。

休み中、全ツ「うたかたの恋/エンター・ザ・レビュー」のDVDを観ましたの。(樹里さん風)
すでに懐かしいけれど、やっぱり私「うたかた」かなり好きですねん。おさちゃん、似合いすぎだから~
うきゃきゃ

あー今日から仕事か・・・テンション↓


●ミニエッセー186「ペットの話5」
妹のS子は札幌で結婚し、だんなさんの仕事の関係から、市内に戻ってきて、約4年前に一匹の雄のロングコートチワワを迎えることになった。それが今、犬の訪問ケア事業「わんこのきもち」に盛んに登場し、私のブログでも紹介している「コジロー」(愛称コジ)である。
この名前は、前日のエッセーで出てきたジローから受け継いだもので、佐々木小次郎からではない。
先天性の病気を持つ彼がS子の家族になり、いつも寂しげな表情だったのが手作り食にしてから体調も整い、表情豊かな犬に変わった経緯などは「わんこのきもち」に任せるとして、コジのおもしろさと私の父との絆などについて話したい。
犬も人間と同じようにそれぞれの性格があり、個性がある。コジは当初、少し暗い、ひきこもりの子みたいなところがあり、なかなか接し方が難しいという印象だった。
しかし、家族から愛情を受け、だんだん人間との生活に慣れ、私も接する機会が増えていくうちに、コジはマイペースを貫く、なかなか根性のすわった素晴らしい犬だと分かってきた。そして、こちらの言葉をよく理解している。なかなか賢い。
「ちょっと待っててね、すぐ来るから」―少しの間の留守番は、こう言えば玄関まで人について行ったりしない。
「行くか」「行くよ」―一緒に外出する場合は、これで妹の膝に乗る。「散歩に行くよ」―支度のために玄関で散歩担当の人を待つ。
「帰るか」―実家に遊びに行っている時にこういうと、大好きな父と離れたくないばっかりに牙を向いて「ウー」とうなって、前足で人を振り払うようにして怒る。普段どんなに友好的な態度を取る人であってもだ。
ちなみに、いつもコジのその姿を見たいと「帰るか」を連発し、からかう私のすぐ下の妹A子には、顔を見ただけで怒るようになってしまった。
このほかにも、いろいろと人の言葉を分かって行動を取る学習能力には、感心する。
また、実家などでほかのきょうだいの犬が家の中に数匹集まると、犬の中では自分が一番偉いという自覚から、近づいてくる犬にかなりほえて威嚇する。しかし、内心怖いようで、父の背後に半身を隠しながらだったり、足をガタガタ震えさせながらだったり、少し離れては、遠くからそおっと相手の様子をうかがっている姿がなんともおかしくてかわいい。
私が帰るころになると、それを察して自分の意に反してどこかへ連れて行かれないようにと、ソファの下などに隠れるのだが、こちらの様子を見るためにいつもちょっこり顔が出ているのが笑える。本人は見つかっていないと思っているらしい。
束縛されるのが嫌いなくせに、人が真剣に新聞や雑誌を読んでいたり、ものを書いていたりすると、邪魔をしに来るから困ったものだ。ちょうど読んでいる記事の上に座り込んで動かなくなることもある。結局は構われないと寂しいようである。(続く)


【2007/02/13 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
明智ピアノ・おさちゃんCD
かくれこじ
敵(相性の悪い犬)から身を守るため、父の横・テーブルの足に隠れ、相手の様子を伺うコジくん・・・行動がおもしろすぎです。

先日届いた「明智小五郎の事件簿・黒とかげ(今後、略して明智)/タキシードジャズ」のピアノサウンドCDとおさちゃんの「終わりのない旅」CDを繰り返し聞きました。
明智の歌、なかなか良いぞぅ。
そして、おさちゃんの声はやっぱり素敵。
レコーディング風景のDVDも観ました。
案外早く終わったもんだとびっくり。
昨年の夏か・・・東京ファントムに入る前でしたね・・・


●ミニエッセー185「ペットの話4」
7年ほど前に17歳で亡くなった実家のジローも、うまい具合に犬用くさりを自らはずし、時折庭から近所へ冒険に出掛けていた。あわてて探しに行くと、近所の商店のおばさんに「お宅のわんちゃん、うちの店で預かってるよ」と言われたこともあった。
散歩していて思わずリードを放してしまい、追い掛けると逃げ掛かるのだが、こちらが無視して帰るそぶりを見せると、決してそれ以上遠くへ行かず、距離を保ってとぼとぼとついてきた。少し臆病だったのかもしれない。
けれども、彼は賢かった。人の言葉をきちんと理解しており、叱るとしゅんとするし、打ち明け話はしっかり目を見て聞いてくれるし、ほかの犬もそうだと思うが、姿が見えなくても家族や知人が家に近づいてくるのをちゃんと察知して、くんくんと鳴いて家にいた母に知らせていた。また、知らない人にはちゃんと吠えていた。
特別に病気などしないでいたが、15歳くらいになると、動きがにぶくなり、最後は耳が遠いようだった。そのころ、私も実家の近所に越してきていたので、札幌で暮らすようになって不在となった飼い主S子の代わりに、ジローをたまに散歩させていたのだが、しょっちゅうこける事態を目にし、別れがそんなに遠くないと予感ざるをえなかった。
ジローは秋に天国へ旅立ったが、その年の始め、不思議な出来事があった。よく晴れた平日の午前中だった。私は休みを取っていて、用事を足しに近所へ出掛けるべく家から出ると、少し遠くからクリーム色のふさふさの毛をした中型犬が近づいてきた。太陽が白い雪に反射してよく顔が見えなかったが、似ている気がして「ジロ君ちゃん(私はそう呼んでいた)?」と言うと、真っすぐ駆け寄ってきたのは、やっぱりそうだった。抱き上げて「家出してきたの?」と聞くと、大人しく私の顔を見ていた。
実家へ連れて行くと母が驚いていた。今の今まで、ちゃんと庭につながれていたというのだ。かなり久々の家出。たまたま休みだった私に出くわした―当時はそう思っていたが、何かを感じて会いに来てくれたのだと今は思っている。
ジローは男らしく、前のめりに倒れていた。心筋梗塞だろう。安らかな顔であり、苦しまないで逝った様子だったのが、何よりだった。母が旅行で留守の日曜の朝、父があげた餌が最後の食事になった。
随分ジローが長く昼寝していると思った父は、耳が遠いので呼んでも起きないだろうからと、揺り起こそうとしたが、もう彼は動かなかった。父はわが家にやってきて、「ジローがまいっちゃった」とだけ告げた。
S子に電話すると、言葉を失い、その後ずっと泣いていたようだ。犬用の棺など一式を購入し、ジローを寝かせてから、市内の妹A子一家にも連絡し、お別れに来てもらった。数日後、やっと火葬の予約が取れて、ジローは天使になった。
餌を元気良く食べると私たちが喜ぶと分かって、きっと少し無理して何でも食べてきたのだろう。食べきれずに余った物を庭の土を掘ってそっと隠していたのは、後で食べようと思ったのではなく、残したら私たちが悲しむと考えてのことだったようにも思えてくる。
私はいつもヅカルームにあるジローの写真に心で話し掛ける―あなたに教えてもらった愛に感謝します。どんな時も家族や友人、仲間や宝塚を守ってくださいね。(続く)
【2007/02/12 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
明智君ニュースで観て
プチ
先月大劇場のプチミュージアムで撮った月組さん「暁のローマ」の衣装。この作品は観れなかったので、CSに期待しています。

明智くーーーーーーーん。
正直、初日ダイジェストだけではなんだか雰囲気がよく
分からなかったです。
今日、ステージインフォメーションをじっくり観ようっと。
壮さんが二番手さんみたいに頼もしく見えたりしました・・・。
友人によるとショーはだんだん調子が上がってきているらしいです。

ますます生で観るのが楽しみになりました。
花組、がんばれー!!


●ミニエッセー184「ペットの話3」
ネズミ系の動物が苦手だった両親は、ハムちゃんたちにはあまり近づかなかったため、ハムちゃんたちは、専ら私たちきょうだいのアイドルであり、特に私とS子は一生懸命世話していた。
最初にやってきたゴールデンハムスターのジルバは、とにかく元気でよく食べて、体が大きかった。だから、本名を呼ばず、ふざけてあだ名の「コニシキ」と呼んだりしていた。
ハムちゃんの寿命はだいたい1~2年、長くても2年半と聞いていて、覚悟していたのだが、なんと3年以上も生き、私たちの心をなごませてくれた。その日々に心から感謝している。
その間、ジルバの娘である美人顔のボア(なぜか毛がボアボアしていたから)や息子である小柄なブイ(いつもブイブイ泣いていたから)が先に天国へ旅立っていった。
冬のある日、気温の低い廊下にケージを出していると、ジルバがぐったりし、息を荒くしたことがあった。今、考えると冬眠しようとしていたのかもしれないのだが、私たちはすっかり病気だと思い、弟が中心となって心臓マッサージと人口呼吸をして、復活させたということがあった。あの時は本当に皆で喜び合った。
また、忘れられないのは、ジルバの「家出騒動」である。彼の趣味は「家出」だった。人にはかなり馴れていて、手のひらの中や私のポケットの中でうとうと寝ていたくらいだったが、狭いケージの中から出て家中を冒険するのが大好きだった。頭の良い子で、ケージの扉がどうやったら開くかよく知っており、引き上げ式の扉の隙間に頭を突っ込み、体で押し上げて脱出するのは、お手のものだった。また、何とか留め金をはずそうと、丈夫な歯で金具をかじり続けて鼻の頭がはげていたくらいだった。
昼間、われわれがいる時は見張っていられたが、夜間に逃げ出されてタンスの陰などにでも篭城されては困るので、こちらもいろいろな方法で、ケージの入り口が開かないよう工夫していたのだが、ある日知らないうちにまんまと逃げ出していた。
テレビも消し、耳を済ませると、やはりタンスの陰でごぞごそしている音が聞えた。しかし、捕まえようとすると猛スピードで逃げるという追いかけっこが夜遅くまで続いた。それでも捕まえられず、われわれは「お腹が空いたら出てくるでしょう」とあきらめた。
それで真っ青になったのは、1階で寝ていた両親である。もし深夜に発見しても自分たちは触ることができないので、眠れなかったようだ。そして、さすがに夜行性のハムちゃん! 丑三つ時に両親の枕元に現れたから、さあ大変。父があわてて2階で寝ていた私を起こしにきた。「S子が起きないから、お姉ちゃん、来て!」と・・・。
ジルバは私の顔を見ると台所へ猛ダッシュ。必死に追いかけるとやつは、カラーボックスの下段の中にあった空の湯のみ茶碗の中に入り込んだ。そして、立ったままの姿勢で短い両手を頭の上に乗せ顔を下に向け「隠れているよ」というポーズをして息をひそめじっとしているから、私はあまりにもおかしくて、かわいくてたまらなかった。まるで「頭隠して尻隠さず」のかくれんぼうをしている小さな子供だ。
そんな愛嬌たっぷりのジルバも老衰で危篤に陥り、最期は少し苦しんだ。今度はどんな手も効かず、私とS子は仕事や学校に行くのさえつらかった。けれども彼はとても頑張った。とにかく懸命に生き抜いた。S子が学校から帰ってくるのを、そして、私が仕事から帰ってくるのを待ってから、静かに息を引き取った。
父が「大往生だし、こんなにお姉ちゃんとS子に涙で見送ってもらって幸せな生涯だったね」と声を掛けた。
私の結婚が決まったすぐ後だった。ジルバは、当時婚約者で、自分もハムちゃんを飼っていたという私の主人にもちゃんと会ってあいさつしていた。
ジルバは天国で自分の子供たちと一緒に、永遠の冒険を楽しんでいることだろう。(続く)
【2007/02/11 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
初日ニュースを早く
だんちゃん

お年玉第3弾をちらり。

昨日初日を迎えた花組のムラ公演。
すでに稽古風景は見、
友人から速報はいただいたものの、
あと数時間後に放送される予定のニュース映像が楽しみでたまりません。
そして、今日から3連休。
ゆっくり寝ていられる・・・。
うれしすぎのわっちさんです


●ミニエッセー183「ペットの話2」
末っ子の妹S子(リンク先の「わんこのきもち」の代表SAKICO、その人であるが・・・)は、上のきょうだいの子供時代とは違い、大の生き物好きな子供だった。気持ち悪がりもせずに、バケツいっぱい「おたまじゃくし」を獲ってきてカエルへと成長させたり、臆することなく近所の犬や猫と遊んだり・・・。
下にきょうだいがいないということもあるのか、小学生だった彼女はどうしても犬を飼いたいと、近所の雑種が生んだ白くて少し毛が長めの雄の子犬をもらい受けてきた。それが、6年ほど前に大往生した「ジロー」である。
とても穏やかでかわいらしい顔をしており、そして、外で飼っていたが、さすがに雑種らしく、豪雪で犬小屋が覆われ、吹雪でなかなか除雪できない日も自らの体温で雪を解かしてスペースをつくり(われわれはそれをビバークと呼んでいた)、たくましく生き抜いた。素晴らしい番犬でもあった。家族や知人以外が近づくとよくほえた。
S子にとっては、単なる愛玩動物(伴侶動物)ではなく、弟のような存在だった。そして、ジローの晩年は、S子が札幌で暮らしていたため、主に実家の両親が面倒を見、すぐそばに住んでいた私も時々遊んでもらっていた。
ジローの晩年とS子が看取れなかった最期については、「ペットの話4」でも触れたいと思う。
それから、金魚やらひよこやら小鳥やら、彼女の周りには常に生き物が共にいた。
さらに、S子は友達からもらい受けて、ハムスター(以下、ハムちゃん)も飼っていた。最初はジルバ(西城秀樹さんのヒット曲から名付けた)という雄1匹だけだったが、後にそのジルバと友達の雌のハムスターの間に生まれた子供たちも飼った。
そのハムちゃんたちの命の軌跡については、次回あらためて振り返ることにする。
かつては動物に興味を持っていなかった私も、家族の一員であるジローと暮らし、またS子とともになんとも可愛らしいハムちゃんたちを世話するうちに、動物が与えてくれる癒しと命の尊さを目の当たりにして、すっかり「動物大好き人間」に変身した。現在、さまざまな動物に囲まれた職場にいるのも何かの縁であろう。
そして、さまざまな職業に就いてきたS子がいろいろな経緯から今、意を決して犬のトータルケアの仕事に専念しているのは、幼いころからの彼女を知る者として、宿命だったのではないかと感じている。(続く)



【2007/02/10 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
隠されていた歌劇
カレンダー

お年玉第2弾をちらり。

主人は「片付けられない男」の部類。
先日、居間で一番上に新聞広告のある、妙に小高くなっている一部分が気になり、それをどけると、まず主人宛に届いた未読の定期購読雑誌が2冊あり、ふとその下を見ると私がTDRに行っていた間に届いていたらしい未開封のかしちゃん表紙の「歌劇誌2月号」が・・・

なんてこったい・・・花組座談会もあるのにぃ~

ちなみに「2007年、7つの質問」のおさちゃん・・・クッションがバストのように見えて、なんか妙なんですけど・・・笑


●ミニエッセー182「ペットの話1」
今回から10回の予定で、ペットについて書いてみたい。
結婚してから私自身はペットは飼っていないが、実家にいる時は犬、鳥、ひよこ、金魚、ハムスターを飼っていたことがある。
しかし、いずれも私が望んで飼ったのではなく、初代の犬は両親が知り合いから譲り受け、ほかはとにかく生き物好きの末の妹S子の希望だったのだが、だんだん私自身もそれぞれのペットが家族と同様に愛おしい存在になり、最期まで付き合ってきた。
私が子供のころは、ペットに関して、つらい思い出しかない。
小学校2年生くらいの時に飼っていた黒いプードルの雌「花子」については、本当に可哀相なことをした。室内犬だったのに、大変活発で、知人に頼まれて引き受けたこともあって両親も私も幼い妹A子や弟もよく飼い方が分からず(実は子供3人ともそんなに動物好きではなかった)、外で飼っていたのだ。今では考えられない重大なミスである。
さらに、避妊手術をしていなかった花子は、秋に妊娠して、寒い冬になって犬小屋で凍死し、お腹の子犬も逝ってしまったのだ。今でも時々、現在ではすっかり犬好きになった家族みんなで「花子に対して申し訳なかった」と反省し、思い出話をすることがある。彼女とお腹の中の子供の魂が安らかなことを祈らずにはいられない。
そのことがあってしばらくわが家では、ペットを飼ったとしても金魚、ザリガニ、亀、ひよこくらいだった。
金魚に対しても私は反省しなければならないことがある。小さい時、サイダーを飲んでいた私は、妹が生まれてからずっとそうだったように「何でも分け合わなければいけない」という気持ちから、悪気なく、金魚鉢に少しだけサイダーを入れ、金魚に「はい、これがサイダーだよ。甘くておいしいよ。飲んでごらん」と言った。
数時間後、2匹の金魚が遺体で発見された。母にひどく叱られた。だから私は金魚を見掛けるたびに切なくなる。
さらに、やはり私がまだ小さい時、父が長く家を留守にするという知人から預かった1匹の元気なシマリスの入ったかごを抱えて帰ってきた。
私たちきょうだいは、シマリスが珍しくてちょっとだけ触ってみたいと思い、翌日の夕方にほんの少しかごの扉を空け、手を入れようとした。その日悪いことに、蒸し暑い夏で、玄関を開け放していた。当然、北国にクーラーはない。
・・・結果はお分かりだろう。他人のペットであるシマリスちゃんは、一瞬にしてはるかかなたへ逃亡してしまったのである。私たちは半泣きになって追い掛けたが、後の祭りだった。父は預かってきた自分が悪いのだからと、私たちを叱らなかったが、飼い主に相当謝っただろうし、飼い主はどんなに悲しかったことだろう。当のシマリスは野生の世界に旅立って行ったわけだが、幾ら田舎とはいえ、うまく生き延びたかのか―今でもふと考えることがある。(続く)
【2007/02/09 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
歯科医の質問に笑う
はがき

母の親友である画家・松本キミ子先生から届いたブタペストの絵葉書。いいなあー、行きたいよぉ。ちなみに、帰っていらして日本からの投函でした。

先日行った歯科医院での歯科医との会話。
医「犬歯がとがっていないですね。歯ぎしりしますか」
私「いいえ」
医「何か力の要るスポーツされてますか」
私「いいえ」
医「では、歯を食いしばるお仕事ですか」
私「・・・あ、はい。ある意味そうですね・・・(歯を食いしばって、本業と副業に精を出しとります)・・・あはははは」


●ミニエッセー181「アルバイトの思い出2」
サークルの先輩のつてで何度かやった新製品の試供品配り―品物は某有名会社の生理用品だった。
札幌市や千歳市内の大型店舗の中のロビーや街中で、お揃いのエプロンを付けてサークルの仲間と共に励んだ。
これは、大変時給が良く、さばききれずに余ったら試供品をいただけるという点が良く、立ち仕事で、男性がティッシュと勘違いして手を出してきたりして困ったこともあったが、割と楽な仕事であった。
偶然、友達が通った時は、サービスしてたくさん渡していた。
今、なかなか生理用品の試供品を配布しているというのは、見掛けないが、某社はよほど新商品に社運を懸けていたのだろう。
ところで、ある日札幌のススキノで「女性の皆さま限定です」と叫びながら仕事をしていると、今でいうアキバ系の男性が数人カメラを手に「写真撮らせて」とやってきて、撮られ放題に撮られたものだ。
今、考えると、彼らの目的が何だったのか気になる。街角のキャンペーンガールの写真をコレクションするだけの人だったなら良いが、ひょっとして何かに投稿したのだろうか・・・。
ところで、私が一番やってみたかったアルバイトは、何のお店でもいいから、販売員だった。いや、今でもやってみたい。物を買っていただく喜びを経験したいのと、品物をきれいに包装してみたいのだ。
私は昔から、家族や友人へのプレゼントは、わざと店には頼まず、自分で包装することが多い。包装方法の本やいろいろな包装資材を持っている。いつかかなうことがあるだろうか・・・。
【2007/02/08 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
もくろみはずれる
ふせん
これもタカトシグッズで、タカさんがいつも着ている服についているライオンのキャラクターの付箋紙。思わず買っちゃいました。ちなみにTシャツも買いました。爆

私がTDRに行っている時に決定のお知らせメールが来たおさちゃんの東京お茶会日取り。
ええええええええええええ・・・。
私の想定とずれてしまい、旅の日程に突如1泊「追加」が・・・。ああ、体とお金が持つか心配。
それに伴い観劇回数も増えそうで、うれしいやら悲しいやら・・・


●ミニエッセー180「アルバイトの思い出1」
短大時代にしたアルバイト(高校まではやったことがない)は、私の場合大きく分けて二つだけだ。一つは、長期の夏休み・冬休み・春休みごとにびっちり勤めていたお役所の臨時職員(事務仕事)で、もう一つは年に数回、日曜の街頭での試供品配り。
おこづかいも足りなかったし、本当は平日も働きたかったのだが、何せ、家から学校までが遠く(片道2時間)、サークル活動も忙しく、休みにしかできなかったのだ。
お役所の臨時職員は、父のつてである。父は、娘と一緒に通勤をするというのが夢だったらしく、毎回ではなかったが、実現できたことになる。
2年間で経験した部署は3カ所で、地元の支庁の建設関係の独立した出張所(隣町)、支庁内の社会福祉課、企画調整課で、支庁内ではいつも親友のT坊と一緒だった。
とにかく職員のサポートととして、事務仕事とお茶出しなどの接客を学んだ。前半は、まだワープロがなく、和文タイプライターの時代。職員の方がていねいに教えてくれたおかげで、すぐマスターできた。後半からワープロが普及し、それも仕事をしながら覚えた。おかげで、就職してからも大変助かった。
人見知りの私は、人生最初のアルバイトとなった出張所では特に女性陣が皆かなり年上で、馴染めないで終った。救いは、同世代の若い男性職員がいて、いつも励ましてくれていたことと、建設会社からの出向の形だったので、給料が良かったことだ。
真面目だった私は、初めての給料から家族におこづかいをあげたほか、通信教育での習い事に使った。それ以降も、例えば服やバッグや靴を買うというお嬢さんらしいことはほとんどしなかった。
地元の支庁内の部署に勤めた時は、親友が一緒だったこともあって明るく過ごせ、職員やほかの臨時職員の皆さんとも仲良くでき、若い男性から大変モテた。しかし、高校時代から付き合っていた彼氏もいたし、父の部署だったり、違っても庁内に父がいたので、頻繁に誘われるということはなかった。
そのお役所での経験が、事務仕事の面白さと自分の適性を知るきっかけになり、就職へ向けての試験勉強や実際の就職につながったと言える。(続く)
【2007/02/07 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
編集長の言葉に笑う
パイ
お笑いライブの会場で売られていたタカ&トシのネタを文字って発売されていた「チェリーパイ」という名の「いちごパイ」。・・・なんでやねんっ

本日は、10年ぶりくらいに大嫌いな歯医者に行くので、既にブルー入っています・・・しばらく通うことになるんだろうな(旅行ない時ね)・・・涙。

職場の某編集部の編集長が、私に取材出張を頼む時、まず
「ねえ、○月○日って、わっちさん・・・居る?」
と聞くようになりました。

★★★爆笑★★★

平日は本当は居て当然の勤め人なのに・・・わっちさんの本業を編集長もよくご理解下さっている・・・感謝です。


●ミニエッセー179「旅の移動時間2・飛行機」
「体を休める時間」と言えば、飛行機内もその時間に充てることが多い。睡眠時間が足りない時は、観劇中に眠くならないように、わざと寝るようにすることもある。毛布を2枚借りて、体を温めるとよく眠れる。
しかし、月が変わった時、たまにANAに乗った時(私はマイレージの関係からJALに乗ることが多い)は、眠る前に機内誌や機内販売・通販誌、新たなキャンペーンなどのチェックは欠かさない。
機内誌に関しては、ほかの雑誌を見る時もそうだが、私の場合内容というよりも仕事柄、どんなレイアウトか、どんな写真の撮り方をしているか、盗めるアイデアはないかなど、敵地偵察の意味も含めて見る。少し前におさちゃんが載っていた時は、ファン仲間にも差し上げようと、周囲の機内誌をかき集めて、持ち帰ったことがある。
機内販売・通販に関しては、純粋に目ぼしい物がないかどうかを・・・。2カ月に一度の更新サイクルが、私には寂しい。毎月の楽しみにしたい。懐に余裕がある時は、たまに機内で化粧品のセットなどを買う。
今まで機内で買った中で印象深いのは、ANAの制服や小物が付いたリカちゃん人形のセットだ。昔から大切にしていたリカちゃんがぼろぼろになってしまったので、2代目として購入した。ヅカルームで天海祐希人形とともに元気にしている。
半券を集めて応募して航空券が当たるというキャンペーンなどは、必ず応募するようにしているので、リーフレットはいただく。ちなみにいまだかつて当たったことはない。
それから、周囲にうるさい子供がいたり、いびきをかく人がいたりする場合は、防御対策のために機内音楽チャンネルで音楽を聞く。聞くとしたら、イージーリスニング、クラシック、J-POPを選ぶ。機内音楽が付いていない飛行機では、持ってきたMDを聞く。しかし、離発着時禁止なのが悲しい。
機内で初めて聞いた音楽で、すっかりファンになってしまったアーチストもいる。また、ANAでは宝塚キャンペーン期間に宝塚の音楽が聞けることがある。以前、たまたま乗った時におさちゃんの歌声が聞こえてきた時は感激した。
また、どんなに爆睡していても、9割がたドリンクサービスを逃したことはない。さすがだ。
JALではなるべくクラスJシートに座るが、何より首・頭を固定するヘッドレストが助かるからである。それがない時は隣の知らないおじさんの肩を枕に寝ていたこともしばしばだった。
連れがいる時は、移動時間はおしゃべりタイムでもあろうが、私の長年の経験上、旅の目的を元気に楽しく果たすために、乗り物での移動時間は車窓を楽しみ、スケジュールを確認しつつ、とにかく体力温存時間に充てることをお勧めしたい。
【2007/02/06 08:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(4)
楽しかったTDRの旅
ステージ
先日行ったお笑いライブのステージです(開始前)。

本日TDRから帰って来ました。
本日は土曜出勤の代休を充てました。
若干、風が冷たい時もありましたが、北海道にくらべれば
春!!のような千葉。
晴れ女の本領発揮で、天気に恵まれ、すべて順調な旅でした。
土曜のランドはかなり混んでいましたが、
ファストパスを有効に使い、半日ながらうまい具合に
いろいろと回れました。
初めて泊まったホテルは浦安のパーム&ファウンテンテラスホテルのファウンテンテラスの方。とってもきれいで、便利でした。
シーには、その景観とアトラクションの面白さに大感動!
新アトラクションだけあきらめたものの
あとは予想以上に制覇でき、買い物もでき、食事もおいしく、
最高の1日でした。
最後の夜は久しぶりに友人Mちゃんと語り合えたのもうれしかったです。
本日は再びランドへ、午前だけなので効率良く楽しむために作戦を立てて挑み、大成功でした。
私は念願の「プーさんのハニーハント」や特別なパレードを最前列に観れて、とにかく大満足でした。
やっぱり夢の王国です
この場を借りて、ナビ役をしてくれたMちゃんと、よく歩いて頑張ったMちーに心から感謝いたします。お疲れ様でした。

追々写真を整理し、おもしろエピソードや思い出を披露します。


●ミニエッセー178「旅の移動時間1・車、電車」
私の「観劇の旅」の行程のうち、新千歳空港までは、家から行く場合と、職場から行く場合があり、またはそれが自家用車の場合と公共交通機関の場合という何通りかのパターンがある。
ほとんどは、家から、そして自家用車利用が多いが、真冬で道路の凍結が激しい時だけ、車の運転は避けている。
車で家から空港までは順調な時で1時間10~15分くらい。職場から空港までは1時間くらいだ。高速道路は使わない。特に行きは、とにかく無事に空港に着くまで、緊張感を持って安全運転に努めるが、いつも空模様を気にしている気がする。早朝に出発することが多く、眠くてたまらない時は、お気に入りの音楽をかけて歌いながら行くに限る。
帰りは、夜遅いことが多く、道々が暗いので注意を要するが、時間帯的に家までの道が空いているのは助かる。旅疲れもあり、早く帰りたいという気持ちがスピードオーバーにつながらないようにしている。
電車の場合、家から行く場合は、まず最寄の駅まで結構距離があるので大変だ。タクシーか主人に送ってもらって行く。電車は一度乗り継ぎがあるため、乗り継ぐ前は居眠りができないが、新千歳空港が終点の「エアポート」という電車に乗ってしまえば、深く寝てしまうことがある。けれども、このエアポート、いつも混んでおり「立ちんぼう」を余儀なくされることがある。つらい。
そして、職場から行く場合はエアポートに乗れる駅までタクシーで行くが、およそ2,000円掛かる。つらい。
そして、電車は帰りがもっとつらい。飛行機が到着して、うまい具合に良い時間の電車があると限らないからだ。あっても、今度は自宅方面への乗り継ぎがうまくいかないことがある。
これらを思えば、なるべく車で行くようにしている理由がお分かりだろう。でも、ゆとりさえあれば、私は電車は嫌いではない。
北海道内を走る電車内は、山手線など東京の街中を走っている雰囲気とはかなり違う。地下鉄は全国どこでもあまり変わらないのだが、一言でいうと都会の電車は無機質な「移動手段」で、北海道の電車は常に温度のある「旅」を感じさせる。
関西では、関西国際空港からの南海電車ラピート、地下鉄御堂筋線、阪急宝塚線、伊丹空港からの大阪モノレール、JR宝塚線・福知山線などを利用するが、目的地が終点の場合、どうしても寝てしまう。
かつては、音楽を聞いたり、パズル本を解いたりなど、移動時間を「何かをする時間」にしていたが、観劇が倍増した今では「体を休める時間」になっている。(続く)
【2007/02/05 19:27】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
初シー
バイキング
先月、札幌の大丸デパートのバイキングレストランで私がチョイスした料理の一部です。これで、一部って・・・

今回のTDRでは、昨日の1日目がランド、本日の2日目がシー、明日の3日目が再びランドというスケジュールです。
私個人の一番の目的はバレンタイングッズの買い物。そして、今後このブログで紹介できるような素敵な写真を撮ること。笑。
実はスリル系の乗り物は苦手なんです。
同行のMちゃんは得意なんですけどね・・・。

2/5のブログは夜の公開になります。


●ミニエッセー177「札幌にキャトルレーヴを!」
大劇場はもちろんのこと、大阪・梅田でも東京・日比谷でも宝塚公式グッズ販売店キャトルレーヴがあるので、買い物もできるし、時間をつぶせる。福岡・博多にも愛知・名古屋にもある。
しかし、巨大都市である北海道・札幌にはない。定期的な公演がないとは言え、今やファン人口はものすごいと思われるのに・・・である。
DVD・CDや書籍は札幌やほかの町でも売っている店があるし、取り寄せも可能だし、グッズも含めてネットでも買える。けれども、いちいち送料が掛かるし、アクセサリー類やブロマイド・舞台写真などは店頭でなければ入手できない。
私は札幌在住ではないので、札幌まで行くのも時間とお金が掛かるし、東京や大阪へ出掛けるより行く機会が少ないが、グッズのためだけに東京まで飛ぶ(なんてことはしていないが)よりもましである。
用事で札幌に行って、時間に余裕がある時など、札幌駅周辺などには、ショッピングできる店やレストランや本屋などがいっぱいあるが、宝塚ファンとしてはそんな時、駅周辺にキャトルレーヴがあればどんなに楽しいだろうと思うのだ。そうしたら、ほかの余計な物への出費も抑えられるというものだ。
また、店があれば宝塚に興味のある人、知らない人をひきつける効果もあるのではないだろうか。
問題は、場所の賃借料や人件費、商品の輸送費などのコストなのだろう。でも、札幌での全国ツアーの人気定着や関連各メディアのリクエストものに、私以外の北海道人がよく出てくるようになったことを踏まえた上での個人的な感覚では、採算は取れるのではないだろうか。
今まで歌劇団が本格的にマーケティングをしたことがあるのか分からないが、してみる価値はあると思う。
私に店長をやらせていただけるのなら、今すぐ現職を辞して頑張るのだが・・・。
【2007/02/04 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
TDRへ出発
時計台

札幌の名物にしちゃあ、いつ見てもちっちゃい時計台・・・。

本日から友人Mちゃん親子と東京ディズニーリゾートに出掛けます。
私は何回目になるのかなぁ。
旅仲間でもあるMちゃんと一緒に、かつて2度ランドの方へ行ったのですが、シーができてから、そして彼女が出産してからの旅は今回が初めてで、私はシーが初めてです。
5日に戻ってからゆっくり報告する予定です。

その間、コメントをいただいた場合の返事も遅くなりますが、ご了承ください。


●ミニエッセー176「観劇チケットの管理」
飛行機などはチケットレス時代になったが、観劇の場合、大切な記念品ともなるチケットは、実券が命だ。(実券などという言葉は、本当はないのだが、レスの状態に対しての言葉として、宝塚ファンは当たり前に使うので、私も使わせていただいた)
宝塚の場合、観劇日よりもかなり早い時期からチケットが手元にあるという状態が多い。リピートする人などは、まるで札束を扇型に広げるかのような数のチケットを保管することになる。
私の場合、旅の用意をするまでは、日付ごとにキャトルレーブが数年前に発売した立派なチケットフォルダーに入れておく。フォルダーは色違いで2冊あり、もう1冊には、余ってしまったり、人に頼まれたものなど、ゆくゆくは手放すチケットを入れている。いずれも、家の所定の場所に大切にしまってある。観劇後の半券についても、日付順にすべてきちんと取ってある。
観劇チケットは大切な大切な夢の切符である。たいていは苦労の末に入手した戦利品でもある。絶対に肌身離さない。宝塚では「お忘れ券制度」があるが、私はおかげさまで、いまだかつて当日持って行くのを忘れて、その制度を利用した経験はない。
旅の手荷物には、何がなくても「財布とチケット」と、保管していたチケットを持ち歩き用のチケットフォルダーに移し、執拗なまでに日付や枚数などをチェックする。ほかの日付のチケットを入れたら大変だ。
旅の最中は、たとえその日使わなくても、観劇チケットは先に発券した飛行機のチケットと共に、絶対ホテルの部屋に置いたりしない。金券でもあり、貴重品にほかならない。
私が、今回なぜこのエッセーを書いたかというと、昨年秋に、ちょっとした事件があったからである。
ネットを通じて、だぶってしまった宝塚のチケットを安価に譲った方から「譲ってもらったチケットを紛失した。席番号を覚えているか」という旨のメールが来たのだが、私は取引きが無事に終了したら、相手のデータやメールなどすべて消去してしまうので、その時に最初に伝えたはずの席番号の記録もなかったのだ。列番号と、大体のブロックは覚えていたが、正確に何番と分からなかった。
マメな記録魔の私は、たいてい余ってしまったチケットの一覧などを作り、席番号も書いたりするのだが、なぜかそういう時に限って書いていなかった。人生とは、タイミングが悪いものである。
それ以来、譲ってしまった後の管理はその相手の責任ではあるが、万一の時のために、余ってしまい譲るチケットについては、日時や座席番号をメモしておこうと決めた。
それにしても、楽しみで楽しみで神棚に上げておくという人もいる中、夢の切符を紛失するとは、私にはシンジナレナーイ!
【2007/02/03 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(4)
マミさん舞台FC申込み
カール


<お知らせ>
リンクを増やしました。「わんこのきもち」ホームページがリニューアル。ブログ「社長日記」と併せてご覧下さい。

期間限定物に弱いわっちさんは、写真のカールを買って食べてみました。めっちゃおいしかった~。ヒットでした・・・って、もう甘い物やめろっつーねん。歯と体重のために・・・。

マミさんのFCから5月の舞台のチケット先行予約申し込み案内が来て、早速申し込みました。
とっても楽しみです。
やっぱりマミさんはライブが最高。
失言はご愛嬌・・・たはっ。


●ミニエッセー175「学校行事の思い出6・お別れ会」
数ある学校行事やクラス行事の中で、その一部始終を鮮明に思い出せるのが、小学3年の時自分が転校する前に道徳の時間を削ってクラスのみんなに開いてもらった「わっちさんを送る会」、そして命について一緒に考え、共に歩いてきた担任のW先生を筆頭に絆の強かった中学3年のクラスで行なわれた卒業前の「お別れ会」だ。
私だけではなく、小学校の時は誰かが転校するという場合、「送る会」はよく開かれていたので、送る側になったこともある。
担任のO先生とみんなは、私に内緒で当日の計画を練っていた。次々と特技を持つ子たちが、歌やモノマネや手品などを見せてくれて、クラスの代表と先生がお別れの言葉を贈ってくれ、最後に私自身がお礼の言葉を述べた。
その時の心境は、1人のために特別な会を催してくれることがうれしいし、ありがたいし、でも寂しいしで、あいさつでは、言いたいことの半分も言えなかった。その時、みんなが歌ってくれた当時の流行歌など、今も忘れていない。
中学卒業前の「お別れ会」は、クラスの70%近くは同じ高校に進むことになっていたが、クラス編成は変わるだろうし、「3年B組解散式」といったものだった。そして、高校入学後に転校することが決まっていた私にとっては、心ひそかに小学校3年時の「送る会」再び、といった気持ちだった。また、親友とは別々の高校に進むということもあった。
しかも、メンバーが半分以上6年前と同じであったことも感慨深かった。私は小学校3年に転校してから、中学1年でまた同じT町に戻ってきたからだ。人口の少ないT町では、小学校も中学校も各学年クラスは二つしかなかったので、昔からの仲間の半分は必ず同じクラスということなのだ。
ゲームや歌の披露、記念撮影や合唱などがあり、先生も歌った。最後はみんな涙・涙だった。その時に写してもらった写真の中の美人の親友と私は、とても輝いている。

【2007/02/02 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
東京準備したいのに
トン汁

主人にリクエストされて作った豚汁。具は、道産もち豚、じゃがいも、ニンジン、たまねぎ、大根、ごぼう、あくぬきこんにゃく、しょうが・・・だったと思います。

今日、おさちゃんFCに東京のチケット取り次ぎを申し込まないと間に合わん・・・。でも、春野・・・じゃなかった、春の東京の旅の手配をしたいのに、お茶会が決まらないので困ってます。
とほほ・・・。

夜は座浴に行っちゃうぞー


●ミニエッセー174「学校行事の思い出5・参観日、親子レクなど」
教育熱心だった両親は、参観日や親子レクレーション、三者面談、入学式、卒業式などは欠かさず来てくれていた。
私はすぐ下の妹と3歳違いだったため、小学校時代は参観時間が重なることもあった。父か母が時間の半分ずつ教室を移動していた。入学や卒業式も重なることもあった。田舎では中学でも、何かと親が参加する行事があったし、その下にも、弟、妹と続くため、両親は何十年もそんなことを続けてきたわけで、頭が下がる。
母は重度のぜんそくだったり、出産による入院などで来れないことも多く、よく父が仕事を中抜けして来ていた。お母さんたちに混じって1人だけ男ということもあったが、私はハンサムな父が自慢だったので、「恥ずかしい」などと思ったことは一度もない。
転校して間もないころ、そうして父ばかりが登場するため、私には母親がいないといううわさが立ったこともある。
よく参観日だからと、その時ばかり張り切って先生の質問に手をあげて答えていた子もいたが、私は逆に分かるけれども手を挙げないことが多かった気がする。
最も思い出に、それも苦い思い出となったのは、小学4年の参観日だ。そのころ早朝マラソンをしていた私は、体調が悪くても無理してやっており、忘れもしない、母が見守る図画工作の参観日の最中、突然激しく吐いて、保健室に運ばれたのだ。きっと、母は「具合が悪いのに登校させた」と勘違いされ、恥ずかしい思いをしたに違いない。「学校大好き」の私が無理をしただけなのである。
親子レクと言えば、自分のことより10歳離れの末の妹の親子遠足を思い出す。病気の母に代わり、まだ美しかった結婚前の私が、公園での昼ごはんの時だけだったが駆けつけて参加したものだから、妹の男の先生が「ぜひ一緒に」と席を作ってくれたり、児童たちからも「Sちゃんのお姉ちゃん」と、大人気になった。
妹・弟たちの運動会への参加や幼稚園のお迎え、病院付き添い、忘れ物を届けることもやった。親というものは、なかなか大変なものだ。
そんなふうに親の立場を味わって、子供に対する思いというものは、本当にありがたいと割と早くから悟っていた。だから、誰が何を言おうと、両親が熱心に学校行事に来てくれたことは、誇りだった。(続く)



【2007/02/01 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(4)
北海道発・わっちさんの宝塚な日々


北海道の宝塚・ミュージカルフリーク。 特に宝塚OG真琴つばささんと春野寿美礼さんが好きです。 北海道日本ハムファイターズも応援しています。 毎日更新しています。

プロフィール

わっちさん

Author:わっちさん
1964年生まれ。北海道在住。
1991年から宝塚ファンに。
大学職員・雑誌記者から
転身し、2010年4月より
美容アーチストとして
サロン経営をスタート。
ネイリスト・メイクアップ
アーチスト、カラーコーディネーター、
ライターです。

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