アクセサリーも・・・
ピクルス

手作りピクルスです。職場の仲間に教えてもらってたまに作るようになりました。ただし、わが家で酸っぱい系が好きなのはわっちさんだけ・・・。やっぱり誰かに食べてもらわないと張り合いがない。おいしいんだけどなぁ。

ねえ、キャトルレーブの通販さんよ・・・アクセサリーだって、ちゃんと梱包すれば送れるんだから、通販してよね・・・。
来月発売になるおさちゃんのアクセサリー、買いたいよぉ。
行くまで1カ月も待たなきゃならないとは・・・。
売れ切れたら、わっちさん、泣くからね。(勝手にしろってね)
と、ぶつぶつ言いつつ、ル・サンクやNEWポストカードを
注文しちゃったわい。


●ミニエッセー173「学校行事の思い出4・修学旅行」
同じ北海道の学校であっても地域によって修学旅行の行き先が違うが、私の場合はこうだった。
道北でも道央に近い小学校では札幌と洞爺(とうや)。道北の中学校では洞爺と函館。道央の高校では京都、奈良と東京(ちなみにまだ東京なんとかランドができる前)。
つまり、小学校でも中学校でも同じように洞爺湖温泉や有珠山・昭和新山のある道南の洞爺へ行ったのだ。今でもなんとなく損をした気分でいる。
私の世代は、道央では、小学校で洞爺・函館、中学では当時はまだ海底トンネルがなかったので、青函連絡船で既に北海道を出て青森などに行っていた。
高校になって初めて道央に来た私は、クラスのみんなはとっくに経験済みの青函連絡船に、高校の修学旅行で初めて乗ったのである。しかも、私はその時初めて北海道を出た。立派なおのぼりさんだった。大型の客船に乗ったことがなかった私は、乗り込んで大広間みたいな所で、しばらく経ってから友人に「ねえ、船にはいつ乗るの?」と言った。友人がお腹を抱えて笑ったことは言うまでもない。
実は、函館港に着いたのが夜で、私は客船全体の概観も見ないまま、バスからすぐ通路を渡って乗ったため、船に乗ったという意識がなく、たたみ敷きの3等客室を、船に乗るまでの待合室だと思っていたのだ。超田舎者の私は、船へは、岸壁から海に落ちないよう、またいで乗ることをイメージしていたのだ。しばらく笑い話の種にされたのは、当然である。
小学校では、おこづかい3,000円をちょっきり使い果たしたことと、あまりの寝不足(睡眠2時間)で最終日の札幌サッポロビール工場の見学で意識がなく、倒れそうだったことが思い出話だった。
中学でわっちさんは、また寝不足によって、翌日鼻血が止まらなくなり、すっかりクラスメートの世話になり、移動のバスでは、同行した保健の先生を独り占めしたという伝説を残した。
高校では、前述の船事件のほか、奈良公園での集合写真撮影の瞬間、端に居た私が鹿に襲われたり、京都の嵐山で親友と2人、集合写真撮影時間に遅れて最も端の先生より端に滑り込んだりということもあった。
高校の修学旅行から帰ってきて、数日の休みの後に登校すると、みんな食中毒の話をしていた。先生から話があり初めて知ったが、実は、最終日の最後の食事であった道南の長万部(おしゃまんべ)の名物・かにめし弁当が腐っていたらしく、多くの生徒が休み中に嘔吐と下痢、発熱で病院へ行ったらしいのだ。食中毒事件として、補償の問題などもあるので、ほかにも被害者は申し出よということだった。
親友と私は顔を見合わせた。「私たち、何でもなかったよね。どうして?・・・」―いまだに謎である。が、いつでも、どこへ行っても何もかもが珍しく映り、すべてが楽しくて、当時、普段はしていた乗り物酔いもまったくしなかった私。新幹線や夜行寝台列車に乗ったのも高校の時が初めてであった。きっと、そんな気持ちが食中毒にさえ勝ったのだろう。
このごろ、北海道の高校の修学旅行は、行きも帰りもぴゅっと飛行機で本州へ、しかも沖縄なんぞへ行くところもあるらしい。わが職場の大学付属の高校では、一部の科は外国へ行く。時代は変わった。(続く)

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【2007/01/31 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
お年玉第3弾
やさい

<お知らせ>リンクを増やしました。お時間のある時に、それぞれ訪ねてみてくださいね。(退団したゆうかちゃんこと椿火呂花さんが、元・夢輝のあさん=黒光由佳さんとご一緒に現在ヒーリングのお仕事をされています。今でも大好きな作品「イーハトーブ夢」を思い出さずにはいられません)

写真は、切り口がきれいだったんで思わず撮ってみました。これらにキュウリとニンジンで作ったものは・・・明日公開します。

しゃぁぁぁぁぁぁぁ。
なんだって・・・どうしたんだ、今月のわっちさんは・・・。
OMCチケットで募集していた退団した宝塚スターのサイン色紙(いわゆる貸切公演の景品で余っていたものだと思います)プレゼントで、「武士の一分」で話題のだんちゃんこと檀れいさんのプロマイド付き直筆サイン色紙が当選してしまいました。
マミさんの相手役でもあり、不器用だったけど、心意気が好きだった檀ちゃん。これからも頑張ってほしいです。
大切にします


●ミニエッセー172「学校行事の思い出3・学校祭」
はっきり言って、幼稚園のおゆうぎ会・発表会から、小学校の学芸会、中学校~短大の学校祭の類(たぐい)が大好きだった。今も職場が大学なだけに毎年学校祭がある。しかし、観て回るのよりも、舞台に立つのが好きだったのである。
合唱や楽器演奏は毎年みんなが必ず参加していたように思う。楽器では、小学校5年の時、病気入院から復帰して遅れて練習に入ったが、必死にアコーディオンをやったのが印象深い。やれと言われたら、今もできそうである。とても不思議な雰囲気の曲を演奏した。
どういうわけか、演劇にはあまり縁がなかった。中学時代、弟が小学校で主役をやった時は嫉妬さえわいたくらいだ。クラス全員出演の芝居の場合はいざ知らず、演目で分かれる際には、私は舞踏に出ることが多かったのである。きっと、それなりに踊りがうまかったからだろう。
小学校4年の時、今でいう「よさこいソーラン」のようなものをやったのだが、練習時「お手本」として、みんなの前に出された記憶がある。そして、中学2年の時は創作ダンス「嵐」をやった。タカラジェンヌのようなことを言わせてもらうが、先生も含めてみんなで一から作り上げていく楽しさったらなかった。
黒いレオタードに黒いタイツと途中脱げるスカートをはいたが、スカートの色をみんなばらばらにすることになり、衣装係の後輩が、「わっちさんは絶対紫がいいです」と、製作してくれたことを思い出す。
衣装を作ったと言えば、高校時代の名物であった仮装行列だ。少々恥ずかしい気分で、町を練り歩いたものだ。1年ではクレオパトラの侍女、2年ではちょうど髪が短くて男役をやり、「キャンディ・キャンディ」の丘の上の王子様(考えてみれば、王子様はアルバートさんだったんだよな・・・。誰もアンソニーをやらなかったな・・・)。3年では、わっかのドレスの鹿鳴館の貴婦人。ドレスはまたも紫色。丘の上の王子様については、持っている服で演じたが、みんなでわいわいと衣装作りをしたのは、本当に楽しかった。
短大の2年間は、クラブ・サークルの思い出でも述べたように、フォクソングサークルでライブ活動をしていたため、学校祭当日はライブ喫茶を運営してミニステージで弾き語りをした。それまでの準備が大変だったのが忘れ難い。
あまり予算がないので、ポスター、チケットなどはすべて手作り。資金確保のために、大学周辺の喫茶店などを回って、チケットを売り、寄付金もいただいたものだ。ライブ喫茶用には安い飲食物しか仕入れできなかったが、男性に人気のお嬢様学校だけに、たくさんのお客さんでにぎわっていた。
自分がそうやって携わった経験があるだけに、今職場の大学で毎年学生たちが学校祭の準備に奔走したり、必死に本番を頑張る姿、純粋にお祭りとして楽しんでいる姿を見ると、心から応援したくなるのである。(続く)

【2007/01/30 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(4)
やっとぬった大人のぬり絵
りらくま

ぼけちゃいましたが、UFOキャッチャーでゲットしたりらっくま。今月でしたが、季節はずれやー。サンタのプレゼントの袋から顔が出てるってことなんでしょうが、最初、オムツをつけているのかと・・・。

昨日、大人のぬり絵「ベルばら」を少しぬってみました。
ずっと前から2社分の3冊を買って置いていました。
これって、いつ全部ぬり終われるのだろうか・・・。
切って使える細かいトランプなども付いていて、気が遠くなりそうです。
が・・・ぬり絵って楽しいですよね~。
色って、人の心を豊かにしてくれる。
(早くカラーコーディネーターの上級試験を受けないとなぁ・・・)
色、ばんざーい。「ベルばら」ばんざーい。
いつか、作品をちら見せしますね。


●ミニエッセー171「学校行事の思い出2・運動会、体育関係」
運動会は、いつも緊張はあったものの嫌いではなかった。特に小学校低学年のころは足が速かったし、父が早起きして場所取りをしてくれたグラウンドの客席で、昼に砂埃の舞う中、家族みんなで食べる母の手作りお弁当が楽しみだった。大家族だったので、お弁当というより、お重に入ったごちそうだった。
北海道での運動会は、5月末から6月にかけての開催が多い。そして、田舎では町をあげてのお祭り騒ぎとなる。
小学5年生の運動会は、水疱瘡にかかり自宅療養の後半中で参加できなかったが、3歳違いの妹が出ていたため、家族と共に見に行った。クラスメートにそれを目撃され、「わっちさんが生きていた」みたいなことを言われたのを思い出す。
その秋にリウマチ熱にかかってからは、さすがに足はそんなに速くなくなった。それでも、それ以降も結構頑張ったと思う。
田舎だったので、中学の体育祭であっても家族、町総出でごちそう持参で見に来ていた。2年の時、中距離走の選手として出場し、競技中クラスのもう一人の選手とぶつかって転倒。足や手を怪我し血だらけになってビリになりながら最後まで走って拍手を受けたことが印象深い。その時、家族の前を走った時、父が大声で「お姉ちゃん、頑張れ!」と叫んでくれた。非常に恥ずかしかった。
高校の時は、3年間でたった1度だけ陸上大会が開催され、市の陸上競技場へ、なぜか私は化粧をして行った。
中学・高校では毎年、マラソン大会でもそんなに遅い順位でなくゴールしていたが、高校2年の時は休んだ。リウマチ熱にかかって以来、関節リウマチにもなってしまったのだが、小雨だったため悪化を恐れたのと、半分はただ、さぼりたかったのだ。
球技大会なるものもよくあったが、目の悪い私は、中学・高校と授業ではメガネ生活だったため、球技の中では、ドッヂボール、ポートボール、バレーボールが苦手で、それに当たると憂鬱だった。しかし、なぜかバスケットボールと卓球はかなり得意だった。
小学6年と高校3年の時、ソフトボール大会でピッチャーだった。どちらも練習をしすぎて本番では肩を痛めていたのが悔やまれる。
自分が運動会に参加しなくなっても、妹や弟たちがいたため、社会人になっても見に行ったし、甥ができてからも何度か出掛けた。子供たちが懸命に走る姿は感動するし、かわいいし、何より組対抗などのリレーには応援に燃えてしまうものだ。田舎では親や先生や幼稚園児の出る競技もあり、それが最高に面白かった。
ところで、私は小学2年まで、運動会で「陸上用足袋(たび)」をはいていた。同じ経験したという同世代の人に出会った時は、今でもその話題で盛り上がる。(続く)


【2007/01/29 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(4)
お年玉第2弾
ヨーグルト

ヨーグルトが苦手なわっちさん。この写真のヨーグルトくらい甘ければ食べれるのですが・・・どれだけ甘いかは、甘党の方に限り、お試しあれ!

お正月に、東宝カフェネーミングの景品でおさちゃんのサイン色紙をいただいたのに、今度はVISAカードさんのおさちゃんのサイン入り卓上カレンダープレゼントに当選させていただきました。最後のVISAカレンダーかもしれません。
ありがとうございます。
いつも、オークションなどで入手していたのに、初めて直接、しかもうれしいことにサイン入りで・・・。
うれしさのあまり、職場で回覧してしまいました。


●ミニエッセー170「学校行事の思い出1・遠足、キャンプ編」
また学校の思い出シリーズになるが、各種行事ごとに懐かしく振り返ってみたい。
遠足といえば、何よりおやつとお弁当が楽しみだった。おやつは、近間の時は100円、少し遠くだと300円までと決められていて、前日には真面目にオーバーせずに一生懸命選んで買ったものだ。チュッパチャップスという棒付きキャンディーが発売されてから、必ずそれを持って行った記憶がある。
母が張りきって作ってくれたお弁当はいつも量が多く、食べ切れなかったことも多かった。私は水筒に熱いほうじ茶を持ってきていた子がうらやましかった。うちはいつもただの水だったからだ。一度、母にお茶を頼んだら、煎茶で、しかも保温できる水筒ではなかったため、ぬるくて気持ち悪かった苦い思い出もある。
苦い思い出といえば、班分けで複雑な立場だったことも・・・。前に述べたように、小学校の時、先生にいじめられっ子の世話を頼まれていたので、親友とともにその子を班に入れていたが、ほかの子が良い顔をしなかったのだ。
小学校の高学年以上になると、宿泊を伴うキャンプや見学旅行もあった。夏にお寺に泊まってコックリさんをやったり、キャンプ場でくじ引きで決めた男女ペアでのきもだめしなんていうのもあった。そういうのは絶対、好きな人とはペアになれないものだ。
中学1年の時、1泊のキャンプの時に、地図と方位磁石でポイントを回り、クイズに答えながら冒険をして班ごとに順位を競うオリエンテーリングがあった。
全部回ったのだが、私たちの班だけが、深い森に迷い込み、帰り道を探すのに時間がかかり焦った。そのうち1人がダニに刺されてしまい、畑作業をしていた農家のおじさんに助けを求めると、タバコの葉で消毒してくれ、親切に感動したのを覚えている。
みんな足に豆を作り、半泣きでやっと帰り着くと、ほかの人はとっくに着いて夕食の支度に取り掛かっていた。聞けば全部回るという真面目な班はほとんどなかったというではないか。全部回った私たちは、誇りを持ったし、迷ったことも今では良い思い出になった。
それから、高校3年の夏の遠足で、隣の市まで行ったのだが、帽子をかぶっていかなかったため、日射病で脱水症状になって意識がもうろうとして歩けなくなり、たまたま同じ場所に遠足に来ていた違うクラスの彼氏におぶってもらって、荷物をほかの友達に持ってもらって家まで帰ったことがあった。それ以来、炎天下を歩く時は「絶対、帽子」と肝に銘じている。(続く)
【2007/01/28 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
逸翁スペシャルに涙と苦笑
はし

ヅカ仲間のRちゃんにいただいた韓国旅行のお土産、銀の箸です。銀の橋ではありません。きゃはっ。うらやましい、韓国!!ぜひわっちも行きたいです。

1/25に大劇場で行なわれた「小林一三翁没後50年追悼スペシャル・清く正しく美しく」を、先に後半を当日夜のCS放送で、前半は録画していたものを観ました。
おさ・あさが並んでいるというだけでも感激でしたが、おさちゃんの若衆姿、トートを歌ったこと、そして与えられた曲(何の主題歌だったのかな・・・)を志願して変更し、自分らしい歌「情熱の翼」を大劇場で熱唱したマミさんは涙ものでした。
しかし・・・放送ではカットされたものの、マミさんが大事な先輩・ヤンさんこと安寿ミラさんを「安奈じゅんさん」と紹介したと、謝罪が本人のブログに・・・。
げげげー・・・ヤンさんとファンの皆さん、本当にごめんなさい。
リアルタイムで、舞台を観に行っていた友人から速報メールが来た時に、「やっちゃったよ、おいっ、きっと一三翁もあの世で苦笑してるよとなぁ」とずっこけたわっちさん。でも、そんなマミさんが嫌いじゃないばかファンです。
ついでに、逸翁賛歌を楽譜(歌詞カード)を一切見ずに歌った春野寿美礼さん、かっこ良かったぞぉ!!

本日は土曜出勤でございます。


●ミニエッセー169「劇場のこと6・そのほかの劇場」
ほかに東京では、利用頻度順で挙げると、まず日本青年館が来る。場所柄、地方人は当日の11時公演は間に合わないかもしれない。玄関までの傾斜のきつい階段はいい加減、どうにかしてほしい。古い施設で、トイレも少ないが、2階まであり、1,360席というキャパが魅力か。周囲に良い飲食店などがないのがつらい。すぐ横の公演は、怪しい人がたむろしている場合がある。
次に、天王洲アイルの天王洲銀河劇場(旧アートスフィア)か。天気が良い日は、ホテルのテラスなどに出られ海が見えるので、気持ちが良い。オペラ座のような2、3階のボックス風の席も意外にお勧めである。もしも、モノレールが停止したら行きにくい場所ではある。
また最近、意外に見やすい有楽町の老舗、日生劇場やきれいな池袋の東京芸術劇場にも縁がある。東京芸術劇場は、中ホール、大ホールとも経験した。
あとは、初台の新国立劇場の小劇場、赤坂の赤坂ブリッツ、草月ホール、サントリーホール、渋谷のシアターコクーン、NHKホール、三軒茶屋の昭和女子大学人見記念講堂など、さすがにいろいろと行っている。
全国ツアーでは、音響は悪いが銀橋があるわが北海道の札幌市にある北海道厚生年金会館(財政破綻で経営が危うい)をはじめ、記憶に新しい市川市文化会館、神奈川県民ホール、浜松アクトシティ。かつては名古屋市民会館にも飛んだ。
宝塚、OG関係だけで以上のようなことになっており、これにほかのライブなども入れると、みんなもそうだろうが、立派な劇場評論家になれそうだ。
今年も新たな劇場との出合いが待っている。初めて足を踏み入れる時は方向に明るい私としては、迷うという心配はないので、楽しみの方が大きい。それなりに緊張もあるが、好奇心虫が騒いでわくわく感でいっぱいになる。全体の使い勝手や細部の観察も忘れない。
このシリーズの最後に、ぜひ北海道・札幌に大きな会館が建つことを切に願いたい。現在、アリーナやドームを除き札幌で最大キャパである北海道厚生年金会館は、存続がかなったとしても、結構老朽化している。ぜひ、いい音響で宝塚の全国ツアーを観たいものである。


【2007/01/27 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
会報が届いて
橋
これと同じ形の橋を通勤時いつも少し遠くからきれいな風景だなーと見つめています。いつか近くから撮りたいと思っていたんですが、先日温泉の帰りに似た橋を通り、妹の運転する車の助手席から撮れました。本当は夜がとてもきれいなんですよ。

先日、おさちゃんのFCから会報が届いて、「ファントム」「うたかたの恋/エンター・ザ・レビュー」を懐かしく振り返りました。
昨年11月から会っていないおさちゃん・・・。
本や映像だけでは物足りないですが、あと1カ月と少し、じっと待つぞ~

さあ、今日は帰ってきたらTDRへの荷造りだー!!


●ミニエッセー168「劇場のこと5・博多座」
(株)東宝も出資し、自治体や企業からなる第3セクターの会社が経営している福岡県福岡市の博多座の評判の良さは、1999年の開場以来変わらない。喜ばしいことだ。
開場した年の夏から始まった8月の宝塚公演のうち、2000年月組、02年と05年の花組を観に行き、ほかに東宝エリザベートも「博多座で観たい」という思いから駆けつけたことがある。福岡空港から地下鉄一本ですぐ着く地の利もいい。
博多座の評判の要因の一つは、まずは従業員の対応の素晴らしさにある。劇場は、福岡の新名所でもある博多リバレインという複合施設の一角にあり、ホテルオークラ福岡も入っているのだが、博多座も一流ホテルの対応に匹敵する気がする。案内、チケット係、各店舗の販売員、レストランの方々まで皆、親切丁寧できびきびしている。観客としては、入っていく時から気持ちが良いのである。
それから、以前も触れたがお弁当の種類の豊富さと質の高さである。どれも若干値段は高めだが、それに見合って高級でおいしい物ばかりで、和洋中あり、ボリュームも各種あり、予約して利用できるレストランもメニューが多く、対応が早い。
ロビーは決して広くはないのだが、お土産の買い物が大好きな私には、そこで売られている洗練された和風のお土産がたまらなく魅力的なのである。ついつい何でもかんでも買って行きたくなる。北国の人間としては、南の文化も新鮮だ。同じ和風の物を置いている帝劇とはセンスに雲泥の差があり、商売上手である。
トイレも個室の数が多く、とにかくきれいだ。これはポイントがかなり高い。
そして、本丸の舞台は歌舞伎もできるように和風にできているのだが、フレキシブルに設定可能になっているようで、洋物の演目でも、全く違和感がない。使用されている木(ひのきだろうか)がピカピカに光っていてきれいだ。
3階構造の客席は、最大で1,454席。すべての階を経験したが、不自由は感じなかった。
北海道の人間を、費用が掛かっても博多座での公演のためだけに飛びたくさせる魅力について、ほかの劇場も見習っていただきたいものである。(続く)
【2007/01/26 00:22】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
東京貸切やっぱりOK
温泉

先日行った近場の温泉前。手前にいるのは、分かりにくいですが、サングラス姿の末の妹。タカラジェンヌか。笑。

先日、阪急交通社から書面が来て、やっぱり先行予約で花組東京貸切公演がOKでした。
ほっ。
支払いも済ませ、SS席が今から楽しみ~。
初めて泊まるホテルも楽しみ~。
飛行機もバーゲンフェア申し込みしたし。
でも、超財政難であります・・・とほほ。
予算はどこから捻出したらよいのやら・・・


●ミニエッセー165「劇場のこと4・梅田芸術劇場メインホール・帝国劇場」
よく経営体制が変わるせいで何度も名前が変わってきたが、現在は梅田芸術劇場メインホール(以下、梅芸)。客席は3階まであり、総客席数は1,905である。大阪を代表する大きな劇場として、毎月バラエティ豊かな舞台が行なわれている。
宝塚では、ここ数年7月に一つの組がほかの劇場での公演組とに分かれて出演し、一つの公演を上演するのが定番になっており、本年はわが花組が源氏物語の漫画版の一つである「あさきゆめみし」リニューアルバージョンがある。日本物の美しさに定評のある春野寿美礼さん演じる光源氏に期待が高まる。
また、全国ツアーでの大阪公演も梅芸で行なわれる。
利用したことはないが、昔からの伝統で、希望者に開演前にお弁当の予約というのがある。幕間に受け取る。歌舞伎座と同じ方式だ。
感心するのが、トイレ行列の仕切りである。中にも外にも係員が張り付き、スムーズに誘導してくれるので、女性は非常に助かる。
ロビーは狭いものの、客席は割とゆとりがあり、天井のシャンデリアが美しいのが印象的だ。
客席は2階までだか、梅芸とだいたい同じ規模なのが東京の千代田区丸の内にある帝国劇場(以下、帝劇)である。1911年に建てられ、座席数も1,911だ。
昔はモダンだったのだろうが、すっかり古めかしくなってしまい、利用するたびにいろいろと不満を言いたくなる。
まずは外で改札を待つような所がない。
客席の背もたれが高すぎてとにかく舞台が見にくい。(だから帝劇は2階の前が良い・・・が、通路はめちゃくちゃ狭い)
売っているおせんべいなどのお土産があまりにもレトロすぎて困る。結構値段の張るアクセサリー類が売られているが、デザインが古くて怖い。
トイレが少なくて、梅芸とは反対に係員の誘導が徹底されておらず、列が変な方向に長くなる。そして、2階への階段がきつい。バリアフリーの時代にエスカレーターもないって、そりゃないぜ。
(株)東宝は、帝劇の全面改修を考えていないのだろうか。ビルに入っている形なので、難しいのか。もしかしたら、東京宝塚劇場リニューアルにお金を使ってしまって、予算がないのかもしれない。
工事中は外部への賃借収入や東宝ミュージカルのチケット収入がなくなり、もしほかで上演する場合は会場費などが掛かるから大変なのか・・・。思わず、余計なことを考えてしまった。(続く)





【2007/01/25 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(6)
オスカルさま
ポッキー

グリコのポッキーは定番のチョコ菓子として好きですが、これ、すごく細いやつ、めっちゃおいしくて、このごろの一押しです!!でも、歯が良くないわっちさんは控えなくてはいけません。

昨年秋、わが職場に新たに来た派遣職員さん。一回り年下の女性ですが、なんと劇画「ベルばら」のオスカルファン

時々彼女とオスカル話で盛り上がっています。
実写版映画のDVDを貸し、ちょっとしたオスカルグッズをプレゼントしたらすごく喜んでくれました。
各種ビデオやDVDを用意し、「宝塚のベルばらも観たい」と言われる日を待っています。笑。


●ミニエッセー166「劇場のこと3・バウホール・ドラマシティ」
バウホール(以下、バウ)は、大劇場エントランスの上部にある1階のみ座席数500の小劇場。前方だと少し観にくいのと、パイプ椅子の補助席に当たるとお尻が痛いのが気になるが、ほかはどこからも見やすく、舞台と近くてアットホームな雰囲気があり、私は好きだ。
若手スターの主演公演や実験的な作品、小規模な催しなどが行なわれる。最近はバウ公演ためだけのために出掛けていくということはほとんどないが、大劇場の11時公演終了後に、チャンスがある時は14時30分からのバウ公演を観るというパターンが年に数回ある。
トイレの数は少ないが、一度改札を抜けてすぐ大劇場のロビーに行けるので、そんなに不自由はないが、開場から約30年経ち、少し古さを感じるようにはなった。
もう一つ好きだと感じ、思い出も多い小劇場が、梅田芸術劇場のシアタードラマシティ(以下、DC)である。やはり1階構造で座席数は898。ここは、どこからでもよく舞台が見えるのでうれしい。演目によっては少し後方の席がベストなこともある。紫色の座席もきれいだ。
ただ、客席で飲食ができないのがつらいのと、周囲がレストラン街といえども、ロビーで売られている軽食が「おやつ」系しかないのが少々不満なのと、やはりトイレの数が少ない。同じビルにあるホテル阪急インターナショナルのロビーなどまで行った方が待たないで利用できる。
ほかの劇場でもそのパターンがあるが、DCでは、劇場がお勧めする公演のチラシが透明なビニールに入れて入り口で配られるのが、気に入らない。ロビーにもたくさん置いてあるのだから、興味のあるものだけ自分で取っていく―それで十分なのだ。
たまに、レアなチラシが入っていることもあるが、それは申し出たほしい人にだけ渡せばよい。そもそもチラシは不特定多数に配ってなんぼの物なのだから、レアなチラシが発生するのはどうかと思う。
開演中にビニールやチラシを触ってガサガサされるのも嫌だし、要らないからと座席や座席の下に置いて帰る人がいる。マナーの悪さを引き出す原因になるから、配布はやめてほしいし、要らない人は受け取らないでほしい。(続く)



【2007/01/24 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
笑いは心身にいい
雪
雪、もう要らないっす・・・。これは今月12日夜現在。シベリアかっ

先日、2人の妹と義弟の4人で行った札幌でのお笑いライブのご報告です。
いやぁ、もう、とにかく面白くて笑いすぎて腹筋が痛かったです。
宝塚観劇だと終始声を出して笑っているということはないので、新鮮で、発散できて心と体に良い感じ!
出演した芸人さんは、上海ドールズ、グリーンランド、千鳥、まちゃまちゃ(途中から摩邪)、サバンナ(途中、犬井さんがピンの犬井ヒロシとして変身)、笑ハンティング(関西出身だけど12年札幌に住んでいる)、笑い飯、博多華丸・大吉、そしてタカ&トシ。
まだまだこれからという方々に比べると、やはりどっちもがボケと突っ込みの実力派・笑い飯、ブレイク中の華丸・大吉(大吉さんはとてもイイ男)、トリを務めて故郷に錦を飾った道産子タカトシの面々はネタ、構成、テンポがうまく、アドリブもほほえましく、満員の客席の心をわしづかみにしていました。
どんな世界でも「プロだな」と感じさせてくれる方たちは小気味良く、輝いています。私も頑張らないと・・・と、思いました。
これだけ楽しませてもらってチケット代3,500円って安い~。なんとか歌劇団とは違う・・・


●ミニエッセー165「劇場のこと2・東京宝塚劇場」
東京宝塚劇場(以下、東宝)がリニューアルして丸7年経った。交通の便も良く、外観は東京中を見渡しても誇れるデザインである。
周辺については、都会の真ん中にあるので仕方ないが、村のようなのどかさはないし、入り・出待ちの場所く、外での待ち合わせ所が狭いという難点はある。
そして、10時開店が常識の地方とは違い、店が11時からしか開かない所が多いので、11時公演のために時間をつぶすために入る店が限られる。しかし、ホテルや飲食店は段違いに多く、村とは違ってすぐそばにコンビニがあるのは、助かる。
中に入ると、大劇場に比べ相当エントランスや各階のロビーが狭い。旧東宝や仮設の1000days劇場のことを思えば立派なのだが、外付けのキャトルレーブも中のちょっとしたお土産売り場、カフェも小さいために、どうしても気がせく感じがある。
ロビーが狭いということは、階下へ行く手段であるエスカレーターや階段も狭いということだ。よって、終演後2,000人以上が一斉に吐き出されると、なかなか外に出るのに苦労する。直接外に出られる階段もあるが、そこさえも毎回とても混み合い、押されて転びそうで、危険を感じる。
トイレも大劇場に比べると列の長さは切実で、女性の多い総見の日など、あまりひどい時は幕間にいち早く外へ出て、隣のビルなどに行くこともある。
座席は狭くて窮屈だ。座席数(2,069)確保のためなのだろうが、もう少し余裕がほしかった。しかも、ブロックが三つにしか分かれていないため、列の真ん中の席になると、人前を通っての着席が大変である。
それから、2階の傾斜がきついのは、観る分には良いが、通路の階段を行く際は、お年寄りなどには危険だ。通路で上からつまづいた人が降ってきてぶつかり、危なく大怪我をするところだったという経験がある。気を付けたい。
それから、特に客席の後半列では、音響が良くないのか、音が割れて聞える。
ともあれ、まだまだきれいで新しいという点は、気持ちが良い。(続く)

【2007/01/22 23:57】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(4)
宝塚グラフおさに苦笑
夕張

走る車の助手席から撮ったのものですが、この写真の山の向こうが財政破綻、各支援などで話題になっている夕張です。私の住む町に近く、何度か行ったことがあります。名産「夕張メロン」も大好き!高価ですが・・・。
「幸せの黄色いハンカチ」撮影場所、大切な歴史を物語る炭鉱址、スキー場もあります。泊まってくださる方、食堂を利用してくださる方などが1人でも増えたら、市民の方々も喜ぶと思います。バスや車でということになりますが、もしドライブや北海道旅行を考えていらっしゃる方がいましたら、旭川の旭山動物園も良いですが、夕張にも足を伸ばしてくださいね。

先日届いた「宝塚グラフ」のおさちゃんのインタビューで、「自分の精神年齢は50歳くらい」って・・・。
ファンとしては、分かるような気がして思わず苦笑でございます。


●ミニエッセー164「劇場のこと1・宝塚大劇場」
今回からしばらく、OGの公演を含めて、観劇で訪れたことのある劇場やその周辺について、地方ファンとしての目から書いてみたい。以前、「劇場での過ごし方」に触れたが、今回は劇場自体のことになる。
まずは宝塚の本拠地、村の宝塚大劇場(以下、大劇場)。知らない人は、ぼんやり「大阪あたり」にあると思っている。縁のない人は、わが心の故郷、兵庫県宝塚市の場所さえもよく分からない。昔は私もそうだったが、旧東京宝塚劇場が初観劇だった私にとっては、やはり大劇場はあこがれの聖地だった。
実際に行った時、大阪の梅田から遠く、結構山奥で田舎だなと感じたことを覚えている。ただ、伊丹空港から行くと近いと感じる。
想像通り、駅や周辺の店やホテルも宝塚歌劇の香りがして、適度なレトロさが良かった。阪神・淡路大震災以降、ファミリーランドもなくなり、「花の道」も変わり、高層マンションも建ち、周囲の風景はかなり近代化されたが、それでもなお東京に比べたら古き良き時代の雰囲気は残っている。ビル街にある東京や梅田界隈と違うせいか、気分的に最もゆったりできるのが、大劇場だ。
何せ劇場改札までのロビーが広い。ただ来て過ごすのも悪くなさそうだ。店舗、レストランも多くて良い。しかし、その割にはただゆっくり座れるようなソファは少なく、いつも混んでいる。武庫川側にテラスもあるが、夏は暑いし、冬は寒いのがつらいところだ。
そのロビー内の店やミニ展示室のサロン・ド・タカラヅカなどの終了がもう少し遅かったらいいのにと地方ファンとしては残念に思う。お土産類は、先に買って荷物を持って劇場に入って観劇するより、余裕があれば帰りにゆっくり買いたいからだ。始まる前の「ばたばた」は、本当はしたくない。
それから、お菓子売り場で荷物が送れるが、阪急関連の運送業者だ。できればメジャーな宅配業者に変えてほしい。地方では請負の小さい業者が配達することになるが、受け取る時、時間の融通が利かないのだ。
劇場改札を抜けてから舞台の大階段をイメージする階段が広がる光景や、とにかく全体が赤いじゅうたんはなかなか高揚感を煽る。
その裏にある立ち飲みテーブルのあるロビーは、今ひとつ落ち着かず、あまり利用しないがぜいたくな空間だ。
2階ロビーの売店におにぎりを置くようになったのはナイスである。かつてはパンしかなくて、思わず「欧米か」と言いたくなる雰囲気だった。
1・2階合わせて2,550の客席や舞台機構については、どこにも引けを取らない素晴らしさだと思う。ただ、1階客席にもう少し傾斜がついていて、前の席との間が若干広かったら完璧ではないだろうか。地方ファンはどうしても荷物が多い。座席の下だけではだめで、足の前にも置くが、自分も窮屈だし、通る人のためにいちいち荷物をよけなければならないのが結構つらい。
女子トイレが多いのは感心する。さすがである。
いずれにしてもファンにとって大劇場は特別な場所。どこかのんびりした雰囲気よ、永遠であれ。(続く)
【2007/01/22 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(4)
いろはって・・・
パン

ホテル阪急インターナショナルのルームサービスでの朝食(コンチネンタル)のパンです。(2人分)

本日は初めてお笑いライブ(吉本興業の芸人さんたち)に行きます。
特に今や、すっかりスターになった道産子・タカ&トシや博多華丸・大吉が楽しみ~。
ご報告は後日に!!

今月CSで放送の「スター新春メッセージ」に突っ込んでいいですか。
幾ら、伝統でも登場順が芸名の「いろは」って、もうやめようよ・・・
すぐには順番が分からんっつーねん。
「は」の春野さんが、一番だったのよね~。
と、いいつつ、またまた「こだわりアラカルト」にリクエストを採用していただき、感謝であります。
ほぼ毎回採用していただいていいのだろうか・・・


●ミニエッセー163「委員経験4・社会人編」
社会人になってもナントカ委員というものがあるとは・・・。
職場では、職員同士のつながりや福利厚生に関する幾つかの「会」組織があり、話し合いによるものであったり、選挙により委員を設定しなければならないわけだ。
現在、ある組織で委員を務めている。なぜか選挙で選ばれてしまった。しかし、それはほとんど委員会が開催されないもので、用事があれば欠席も可能なのでよいのだが、数年に一度、選ばれたからには頻繁に行われる委員会に出席しなければならない役目がある。
数年前に何度目かのその委員をやっていた時、悪いことに観劇の旅の前日や旅のために休む時に限って委員会が開かれ、申し訳ないがよく欠席させてもらっていた。それは業務外のものなので、業務外では観劇生活が優先のわっちさんだから、当然である。というか、私を大事な委員に選んではいけないのだ。
それから、結婚してから最初はアパートに住んでおり、町内会活動は隣に住む大家さんが代表して引き受けてくれていたので、地域の委員などはやらないで済んでいたのだが、引っ越して持ち家になるとそれも免れなくなった。
数年に一度、町内会の班の中で役員が回ってくる。主に主人が活動してくれるが、配り物や回覧のとりまとめ、冠婚葬祭などは一緒にやらざるを得ないし、婦人部というのがあり、どうしても女性が前面に出なくてはならないことがある。
町内会の行事と仕事や出張が重なった時は当然仕事優先だが、そうでない時は、社交的ではなく、別の町で仕事をしており特別に近所と深い付き合いがない私にとって、苦痛の時間ということになる。
地域の一員である以上、自治活動は大切なことであるという認識はあるのだが、班に同世代の家庭がおらず、なんと働いている奥さんは私一人なのだ。生活のリズムも値観感も違いすぎるから、深い付き合いにならないのは、分かっていただけよう。
委員といえば、結婚式の発起人やお葬式の手伝いというのは、社会人になれば絶対に必要な経験だと思う。けれども、最近では結婚式もお葬式も専門の業者がすべて仕切ってくれるというパターンも珍しくなくなった。特に都会で、とっさの時に対応できない若者が増えるのではないかと老婆心ながら懸念している。


【2007/01/21 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(4)
3月飛行機手配完璧
サイン

お正月に届いたおさちゃんのサイン色紙をちらっと。

3月千秋楽の旅の飛行機手配も終了。
あとは無事に飛ぶだけです。
またまたマイルがたまっちゃうわん。
これで、本当に準備屋・わっちさんの心は東京へ。(まだ村も始まってないのにさ~)

本日は実質休み。
今日こそパーマをかけるぞぉ~


●ミニエッセー162「委員経験3・高校、短大時代」
入学した高校では、最初の宿泊オリエンテーションでいきなり議長をやらされて、なかなかみんなの意見をまとめられずに参った記憶がある。そして、転校してからは、1年の後期から○○委員というものではなくて、クラスの会計とか議長とかを卒業するまでやっていた。それなりに頑張ったが、本音は任ではないと思っており、すべて、嫌々である。
しかし、進学するという時期になって、結果的にそれが自分にとってプラスだったのだと実感した。それは、調査書(いわゆる内申書)に先生が「委員経験・クラブ活動経験」などの記録を書く欄があり、項目が多ければ多いほど有利だと知ったからだ。
けれども、私は推薦入試ではなく、学力入試で短大を受けたので、その時は調査書はあまり関係ないと思っていたのだが、私が受けたのは、推薦入試制度のない短大であり、調査書との総合判断での試験であったようなので、欄をはみ出すほど埋められたという点では確かに良かったのだろう。
短大に入ってからは、クラスでわずかな人数ながら、委員を決めなくてはいけなかった。さばさばしていた担任の教授が「恨みっこなしで、出席番号順ということで、1年目は頭から、2年目はお尻から当てていく」とおっしゃったので、私は胸をなでおろした。
私は頭から数えても、お尻から数えても当たりそうになかったからだ。サークル活動に励もうと思っていた私は、もう委員はやってられないと決めていた。けれども、最後の最後に「落ち」が待っていた。
卒業が近づくと、卒業パーティー実行委員というのが必要になり、委員経験のない、出席番号の頭からとお尻から数名ずつの学生が選ばれた。それで、私はぎりぎりセーフだった。隣の人までが実行委員だったのだ。ああ、助かった、それでおしまいだと思っていた矢先、パーティーの1週間前くらいになって、実行委員から声を掛けられた。
「わっちさん、先生に一言あいさつし、花束を渡すクラス代表になって。順番なので」―。
例えば、最初に委員をやった人とか、先生にゆかりのある人とか、成績優秀者とか、すごいところに就職する人とかなどの意味は何もなく、事務的に順番での最後のクラス代表って・・・。
仕方ないので、笑いを取るようなあいさつを考え、その役目を果たした。どうにかすべらなくて、良かったようだ。先生も泣き笑いしてくださった。(続く)


【2007/01/20 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
来月はCS月間
ななだっこ
妹のカイロ代わりになっていた「なな」。ちなみに、このぬいぐるみみたいな服は母から私への誕生日プレゼントの服です。寒がりな妹に貸したのでした。

2月のCS録画予約一覧が完成!
毎月テレビラックに貼り、毎日チェックしています。
花組大劇公演が始まるので、関連番組チェックに忙しくなりそう。
今回ばかりは結構「予習」することになるなあ。
実際の観劇は3月なので、テレビに忙しい2月とずらして正解だったかも~。


●ミニエッセー161「委員経験2・中学校時代」
中学でも「生活委員」やクラスの書記、会計などの経験があるが、後半は仲良しの子と「放送委員」をやった思い出が大きい。
それは、転校し2校目になった中学でのことであるが、まず入学した最初の中学では、夏の全校生徒キャンプまでの委員である「キャンプ連絡委員」になり、キャンプの準備のほか、クラスにその年のテーマソングであったドボルザークの「遠き山に日は落ちて」の歌唱指導をしたのが忘れられない。今なら流行のJ-POPが設定され、それならば得意分野というところなのだろうが、何せクラシックだから参った。
キャンプが近づき、委員会でテープを数回聞かされて、すぐに自分が覚え、翌日から短いホームルームの時間に毎回クラスで練習するようにとのことだったが、歌唱指導と言ってもテープを渡されたわけでもない。まずは自分が歌ってみせるしかないわけだ。
思春期で、人前で一人で何かすることが気恥ずかしいころ。けれども、責任感が勝ち、勇気を出して「1回目の今日は私が歌うので、明日から少しずつ皆さんと練習しましょう」と、自信はなかったがアカペラで歌ってみせた。するとどうだろう。思いがけず、クラスのみんなから拍手が起こった。担任の先生も拍手してくれた。
そうだ、私は合唱部員だった。それからというもの、放課後になり合唱部の練習に行く前などに「わっちさん、合唱部で練習している歌を聞かせて」と、私の周りに人が集まるようになり、クラスの同じ部の子とハモッて歌って聞かせたりしていた。
さて、2校目の2年の後半から放送委員になってからは週に1度の担当で昼休みの番組を製作し、レコードをかけたり、ディスクジョッキーをやったり、古い装置だったが機械操作をやったりして最高に楽しかった。また、学校の朝会や行事での放送機材の用意、運動会、学校祭でのBGMテープ作りやアナウンスのほか、演劇のナレーション、ゲストへのインタビューなども経験した。
3年の時は放送委員会の副委員長も努めた。
合唱部の経験があっても鼻声ぎみの自分の声にはまったくコンプレックスしかなかったのだが、張りだけは誰にも負けなかった。
先生にそれまで禁止されていた流行歌の放送の許可を得るという革命を起こし、みんなにリクエストを募り、上位曲の自分が持っていないレコードを持っている生徒を探して借りて番組を作ったりもした。
役得で、自分が当時好きだったディスコ音楽をかけたりもした。
3年生の学校祭の時は委員長が吹奏楽部で忙しかったため、私がアナウンスの責任者となり、進行するのに忙しく、自分のクラス合唱の出番に遅れそうになったりした。
自分がディスクジョッキーをする日は、クラスの友達が放送室に給食を運んできてくれ、曲をかけている間に大急ぎで食べていたのも覚えている。
生活委員ばかりやっていた私が、いよいよクリエイティブで華やかな役目をもらい、音楽好きの本領を発揮できたのは、幸いだった。
そういえば、中学では一度、生徒会の書記に無理やり立候補させられたことがあった。嫌で嫌で、選挙で落ちることばかりを祈り、手作りポスターは控え目にし、PR活動は消極的だった。推薦者の友人には悪いが、おかげで落選した時は心から安心したものだ。(続く)



【2007/01/19 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
東京日程表とにらめっこ
つめ
マイネール。今年のお正月バージョン。わかりにくいですが、バラのシールの上がオレンジ系の赤、下部がピンクの2色になっています。

おさちゃん東京FCから取り次ぎ案内が到着。
いよいよ東京公演の観劇について具体的な検討へ!
まだお茶会が決まっていないので、私の旅の全容も見えてこないのですが、この「悩んでる時間」が何ともいいんですよね~。
いずれにしてもほぼ毎週通うことは間違いないっす。げっ


●ミニエッセー160「委員経験1・小学校時代」
何かの委員じゃなかった時期の方が少ない。今、職場でさえもやっている。振り返ると、どんな仕事もよくぞ真面目にやっていたものだ。
小学校の時は、4年生くらいから委員というものがあった気がするが、なんとなく「保健委員」や「図書委員」にあこがれていたのに、しっかり者のイメージからなのか、いつも「生活委員」に推薦されて渋々やっていった。いわゆる「風紀委員」、社会で言えば警察の役目である。
北海道でも5本の指に入るマンモス校だった私の小学校では、生活委員の権限がすごいものだった。学校内外でルールを守らない児童を発見したら、同級生だけではなく、先輩でも後輩でも注意ができる。いや、注意をしなければならなかった。
しかも、その口調は厳しくてはならないのだ。「廊下を走らないで」「そこに上らないで」「土足しないで」「大声を出さないで」など、命令口調で、言う方も気持ちの良いものではなかった。特に、私は本質が積極的ではないので、子供ながらストレスがあったに違いない。
それに、児童たちからすると、どうしても生活委員は怖い存在になってしまう。ルールを守らないあまりひどい子は、先生に報告という名の告げ口をされるからだ。嫌われ役だ。
また、そのころはそんなに抵抗がなかったのだが、名札の上にバッジを付けるほか、生活委員だけは、毎日必ず左腕に「生活委員」と書いた腕章をしなければならず、これが毎日家に持ち帰って、服を取り替えるたびに忘れないようにしてこなければならなかった。大変だったと思うが、よくやっていたものである。
腕章をしている人は注意ができるという印であるが、例えばコートなどを着ない季節は学校の行き帰りも付けているのが一目で分かり、ヒトラーじゃあるまいに、権力を振りかざしていたようで、今となれば恥ずかしい気もする。
現在、記者という職業柄、取材時に取材陣・報道用の腕章を付けることがあるが、そのたびに「生活委員の腕章」のことを思い出し、苦笑いしてしまう。
しかし、社会に警察があるように、子供の世界でも場を締める役割が必要なことは確かだ。昔は「廊下を走らないで」という声でそれなりに秩序が保たれていたのかもしれない。立場としては嫌われ役を務めていても、個人として憎まれたりいじめられたことはない。みんなが委員の役目を理解していたからだ。
今の学校はどうなのだろう。果たして、バッジや腕章をさせているのだろうか。(続く)



【2007/01/18 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(4)
ヅカノートにフォーム貼付
キャンディー
クリスマスイブに星組「ヘイズ・コード」で華美ゆうかさんから手渡しでいただいてしまったキャンディーセット。全部食べてしまいましたが、袋とミニミニリースは大事に取ってあります!!

まだ先だけれど、3月の観劇(花組大劇場と雪組バウ)の記録用フォームをヅカノートに貼付、必要事項を記入しました。
ついでに、まだ何回観劇するか決まっていない花組東京分も欄を作ってしまった。気が早いっつーの。
その次はたぶん、星組さんを東京で観るのかなぁ・・・。
そして、その次は・・・。

いやあ、ここ数日雪に参りました・・・これじゃあ体が治らんっ


●ミニエッセー159「退団後の真琴つばささんのこと5・ブログライバル?」
昨年、私がブログを始めて3カ月後、マミさんもFC専用サイトでブログをスタートさせた。
しかも、私と同じで毎日の更新。ブログライバルと言ってはおこがましいが、負けずに頑張らなくては、という思いにさせてくれる。
もちろんマミさんは忙しいので、数行の短いものが多いが、たった一言であってもファンとしては毎日の様子や最新情報が分かるし、とても楽しみにしている。
さらに泣けるのが、ファンのみんながチェックしやすいようにと、だいたい更新する目安時間を決めてくれて、仕事で大幅に遅れた時はわざわざ「遅くなってごめんね」とまで書き込んでくれる。マミさんらしいったらありゃしない。なんだかんだとネタを見つけて、携帯電話から一生懸命発信してくれているのだ。
時々、その時の話題に関する写真も付いているが、うれしいことにリアルタイムのマミさんの姿を見ることもある。
ブログを始める前は、やはりFC専用サイトに不定期ながら、日記を書いてくれていた。それも楽しかった。今もそうだが、何でも本音で語ってくれる。実に人となりが見えてくる。日記は、ネットが見れない人のためにと、FCの会報でも、リプレイしてくれていた。
また、ほかのスターはなかなかできないことだと思うが、FCのインフォメーションダイヤルは、ご自分の声でお知らせを吹き込んでいる。
マミさんが宝塚を退団し、新たにFCがスタートしたころは、変わらぬ張りがあり、男らしい(失礼)声を聞けるのがうれしく、何度も電話し、涙したこともあった。
マミさんは、とにかく自己プロデュースの人。誰かが決めたレールにおとなしく乗っかることはない。FCの活動に関するさまざまなアイデアも、いかにすればわれわれが喜んでくれるかを常に自分で考えてくれている。その気持ちにせいいっぱい応えたいから、ファンはどこまでも応援し続けるのだ。
今年は、新たな仕事として、5月にオリジナルの舞台に挑戦することになったマミさん。昨年の曽我泰久さんとの2人芝居芝居の成功で自信を付けたのかもしれない。また、やっぱり舞台が好きだと再確認したのかもしれない。できれば、1回のものではなく、先々へつながっていけばいいと自身が語っていた。
もちろん、私も駆けつける。
CDもテレビの仕事もディナーショーも良いが、芝居をするマミさんもやっぱりいい。宝塚現役時代より演技に深みが増したと感じるのは、決してひいき目ではないと思う。
【2007/01/17 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(6)
週刊女性におさ・あや
DC
この写真はドラマシティのロビーから上に通じる階段ですが、改札正面にホテル前(モール部分)に出るエスカレーターができたんですもんね。先月初めて利用しました。

女性週刊誌って、滅多に買わないのですが、週刊女性1月16・23日号におさ&あやねちゃんの鏡開きの様子が大きく1ページカラーで載っていたので、購入しました!
皆様も機会がありましたら、見てあげてくださいね。
うふっ・・・


●ミニエッセー158「クラブ活動の思い出4・短大時代」
短大時代は勉強・研究はそこそこに、短いながらサークル活動に燃えていた。意識的にそうした。高校まで本格的な課外活動に身を入れたことがなかったので、将来のためにも、夢中になれる何かに没頭する経験をしたいと決めていたのだ。
だから、T坊と真剣に入学後のサークル紹介時に一つ一つ回り、2人の意見が一致し「音楽をやりたい」ということになり、正式名称は違うが、フォークソングクラブに入った。
私の学科である国文科はT坊の家政科と異なり、実習や必修ゼミがないため、単位、授業的にゆとりがあった。空き時間を私は部室にこもってのフォークギター練習に充てた。子供のころから、いつかギターが弾けるようになりたいと夢見ていた。
最初はサークルの備品を借り、やがて親戚からギターを譲り受けて、マスターするまでは、何度も指先から血が吹き出した。ギターを弾く硬い指先になるまでは通らなくてはいけない道だった。その甲斐あって、日一日と上達した。それが何よりうれしかった。
やはり、T坊もギターに挑戦し、少しずつ弾けるようになった。そして、もともとギターができる双子のA姉妹のYちゃんと3人でグループを組むことになった。グループ名は仮に「NS」としよう。
NSはギター3本が売りで、それぞれがボーカルもコーラスもこなした。私は後半は電子ピアノも担当した。小さい時にオルガンやピアノをやってはいたが、コード演奏などもできなかったので、家で独学で毎日必死に練習したものだ。
演奏し歌ったのは、ニューミュージックやアイドルの歌のコピー曲も多かったが、私は曲作りもやっていたので、3人用にアレンジしてオリジナルもやった。私はボサノバやバラード調の曲をよく作っていた。
コードしか分からず、楽譜は読めず書けずの私は音楽が得意な彼氏・Y君によく手伝ってもらった。彼は私のギターの先生でもあった。
先輩や同輩には、かなり本格的な人から趣味的な人、楽器中心からボーカル中心まで、いろいろな人がいた。
みんな芸名があり、個性的だったが、姉妹のように仲良く、温かい雰囲気だった。
内輪の発表会や学内、学外でのコンサート、学園祭でのステージやライブ喫茶の運営、各種行事など、年中精力的に活動していた。1年の後半には、Yちゃんが部長に、私が副部長に就任し、引退するまで不慣れながら必死にサークルを運営した。
人前に立つことの難しさや面白さ、仲間をまとめること、人づきあいなど、社会で役立つ多くのことを学び、何よりも女の子同士で頑張った思い出が宝物になった。
毎日ギターケースを背負い、楽譜と文学のテキストを持って遠い道のりを通っていたが、絵に描いたような青春の姿だったと思う。
小学6年のことがまだ思い出せないが、実にいろいろなことを経験してきた。その道一筋というのも良かったかもしれないが、難病にかかり、陸上選手の夢が絶たれたことが、かえって私の人生を色とりどりにしてくれたように思え、今は運命に感謝している。

【2007/01/16 00:04】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
マミさんNEW舞台
梅田出待ち
昨年のクリスマス時期の梅田芸術劇場・ドラマシティ楽屋口付近(毎日放送側)。出待ちはしませんでしたが、きれいでしたわぁ。ちなみに先週もまだこんな感じでした。

マミさんがディナーショーの時に、今年5月に東京で新しい活動の企画がある、みんな5月は何か予定ありますかと言っていたんですが、わっちさん、ちょっとどっきりしちゃいましたねー。
だって、5/13までは東京でおさ公演だから・・・。
またかぶる?と思っていたのですが、今回は月の後半で、ずれていて助かったー。けどまた旅計画が増えちゃった。
白城あやかさんのご主人でもある中山秀征さんとミュージカルの舞台をやるそうで、楽しみです。

少し除雪した以外はごろごろしてばかりの日曜で・・・反省。。


●ミニエッセー157「クラブ活動の思い出3・高校時代」
高校に入学した時、すぐに転校することがほぼ決まっていたため、クラブには入らなかったが、友達が美術部に入って油絵を描いていたのを何度か見学させてもらった記憶がある。
また、先輩に演劇部に入ることを勧められたが、入学早々には公表できなかった転校のことを口に出さずに断るのは大変だった。
転校先では、理由は多分、食べたいだけのためだったと思うが、調理同好会に所属した。3年前期まで真面目に続けた。確か、部長も務めたような気がする。
料理は特に得意でも好きでもなかったが、隔週で学校から予算をいただき、足りない時は自分たちでワリカンして、前日に材料を買って、レシピ集の中からとにかく食べたいものを作っていた。軽食もあればお菓子もあったような気がする。
同級生は仲良しの仲間内7、8人で、何と2年になると3年生がまったくいなくなり、1年生がたった1人というなかなかこじんまりした同好会だった。
そして、3年になってからという異例さなのだが、親友のT坊に誘われて半年間軟式野球部のマネージャーも兼ねることになった。スコアを付けられなかった私たちは、とにかく練習のサポート役。道具やグラウンドの管理、部員の救護、ピンチランナーなどだ。
そうなった理由は、軟式野球部にM君というT坊があこがれる男子がいたから、仕方なく付き合うことにしたのだ。実は、このM君は間接的に私と縁があった。その縁は高校を卒業しても続くことになる。
というのは、2年の時その高校に私が中学の時転校するまでの少しの間だけ仲良くしていたHさんという子が転校してきて再会したのだが、その子を追いかけるようにお父さんの転勤によりわが高校に転校してきたのがM君で、彼はHさんと同じ学校から転校してきたのである。
しかも、HさんもM君も私と同じ市からの電車通学だったため、駅などでHさんと話しているとM君がHさんに気軽にあいさつしたり、「ちょっと、ごめん。小銭貸して」などと話し掛けていたので、Hさんから話を聞き、別のクラスながらM君を知っていたというわけだ。
結論から先に言うと、私とM君は今でも年賀状のやり取りをする男友達である。2人の友情には、青春ストーリーがある。
しかし、T坊はといえば、実際のM君が彼女のイメージ(クール)と違っていたため、せっかく親しくなったのに、アタックすることもなく、ただの仲間止まりで終わった。私にしたら、M君は個性的で真面目で好きな人間のタイプなのだが・・・。
青春ストーリーの概要はこうだ。私の方がいつの間にか軟式野球部員のY君という彼氏ができた。私の人生に大きく影響した人だ。何もかも、T坊のせいだ(笑)。
以下は、後で知ったの事実だ。
自分で言うのは恥ずかしいのだが、私が入部してきた時、M君は小躍りしたそうだ。Hさんの友人であった私にあこがれていたというのだ。しかし、彼が告白する前に私を彼の友達のY君に取られたので、かなりショックだったという。
それで、M君はY君と男の約束を交わした。「お前がわっちさんを泣かすようなことをしたら、俺はどこにいても絶対にお前を殴りに来るからな」―漫画ではない、現実の話である。
結果的にどちらが悪いとかではないのだが、私はY君と別れ、自分を失うほど泣くはめになった。結婚するつもりで、お互いの家族も交流があった。
それを知った、当時札幌市内の大学生だったM君は私を慰めてくれた。あくまでも友達として接する彼に、私は男気を見てうれしかった。「Yを殴んないとな」と優しく笑っていた。
素性がばれてしまうかもしれないが、M君は社交ダンスの北海道の学生チャンピオンで、これもまた縁なのか、私の短大(別大学だが合同チームだった)のクラスメートとコンビを組んでいた。最後の大会を私は当時婚約中だった主人と観に行った。どんな世界でも頂点に上がるまでの努力は尊い。M君は輝いていた。私はM君を尊敬している。
その後お互いに結婚し、遠く離れ会うこともできないでいるが、青春ストーリーゆえに変わらぬ友情があると信じている。
恋の話はいずれ展開することするが、高校のクラブといえば、きらきらしていた若い日々を思わずにいられない。(続く)
【2007/01/15 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
東京阪急交通社貸切申込み
おわびの品
マミさんDSの時、ホテル阪急インターナショナルに予定通りにチェックインしたのですが、部屋の最終チェックが終わらず、10分くらいフロントで待たされた、そのお詫びにといただいた入浴剤ですが、入浴剤大好きな私はうれしくてたまりませんでした。自分で持ってきてましたが、これを使わせていただきました。すごく変わっていました。真っ白い粉なのですが、お湯に入れなくてもすごく熱かったんです。

4月に行われる東京花組(明智)公演の阪急交通社の貸切公演の先行予約に申し込んだのですが、だめな場合おとといまでに連絡が来るということでしたが、来なかったので、OK???。
ちょいとお高いホテルパックで、SS席なのですが・・・。
実は「まだぼんやり4月の計画」ではその時行く予定はしていなかったのですが・・・がんばろっと。ははは。

昨日は母と妹と石狩管内の新篠津温泉というところ(たまに香寿たつきさんも来るようです)に行き、少しでも全身打撲や靭帯損傷が良くなるようにと、がっちりつかってきました。
かつて、温泉に1回入っただけで極度の肩こりや腰痛が嘘のように治ったことがあるんです。
効果がありますように!!


●ミニエッセー156「クラブ活動の思い出2・中学校時代」
中学に入り、前期の課内クラブは「読書クラブ」に、課外クラブは「合唱部」に所属した。
「読書クラブ」は、生徒に活動内容を任されていたが、オタク系で覇気のない先輩たちしかおらず、狭い図書室で1時間で本を1冊読みきり、翌週には感想文を仕上げるというゆるゆるで、本当にラクな活動だった。何を読んだのかまでは覚えていない。
「合唱部」は仲良しの友達も一緒で、大変楽しかった。ソプラノを担当し、秋のNHK合唱コンクールに向けて、課題曲と自由曲を練習したが、顧問の先生の指導でだんだんと自分がうまくなるのが分かり、夏休みを返上しての練習もまったく苦にならなかった。
が、コンクールを前にして転校。生涯忘れられない悔しく悲しい思い出である。今でも時々その時の歌を口ずさむが、泣けてくる。
転校先では合唱部がなかったので、課外活動としては「帰宅部」だった。その時の課内クラブのこともまた思い出せない。
2年になって、前期は「調査・研究」というユニークなクラブに所属し、そのころはまだ先見性のあった環境問題に取り組んだ。後期は「フォークダンスクラブ」。結構たくさん覚え、体育の時間にみんなの前で見本をやっていたのに、今は3曲くらいしか踊れない。
3年になって「漫画クラブ」に入り、部長を務めた。模写から始めて自分でオリジナル作品を描くまで、楽しくやった。
けれどもこの時、小さな事件が起きた。
墨絵の手法で、好きな少女漫画の1シーンを模写した私のイメージイラスト作品が評判になり、夏休み前にクラブ以外の女子に回覧された。隣のクラスにまで回り、しばらく戻ってこなかった。やっと戻ってきたのだが、その間にそれを写し描きした女の子がいたらしい。見て描く模写ではなく、いわゆるなぞり描きである。
夏休みが明け、自由研究の展示会が開かれた時、唖然とした。私の絵を写し描きして適当に墨で塗ったと思われる隣のクラスの子が、それをそのまま自分のオリジナル作品として学校に提出していたのだ。実際の漫画を見て描いたのではなく、明らかに私の絵を写したものだというのは、縮尺からも分かった。それは私が独自に縮尺し、漫画にはないイメージを少し膨らませて描いていたからだ。
私はそれについて何もクレームを付けなかったが、実はその子は、そのころ同じ男の先輩にあこがれていた恋のライバルであった。大人しそうな顔をして、やってくれるものだ。
今では、笑い話である。(続く)

【2007/01/14 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
今から楽しみ水・となみエリザ
髪型
マミさんのディナーショーでの私の髪型。耳の前にたらしているうち、真ん中の金髪のところ(地肌に見えるかも・・・爆)はエクステンションで、ワッフルのアップ部分は半カツラです。たらし髪は左だけで、右側はひっつめています。
何が大変だったかって、中途半端な長さで、しかも薄い地毛をディップで固めて、極小おだんごにしてピンで留め、落ちてこないようにすること。髪が薄いもんで、ピンがきかないっつーねん。笑。
これ、自分で写真撮るのも大変でした。爆

雪組さんのエリザのポスター(完成前)用の主役2人の扮装、すてきですね。化粧や撮影の雰囲気は月組パターンですが、観るのが楽しみになりました。
村か東京いずれだけでもいいから2回以上は観たいです。

本日は休みなので、温泉へ湯治に行ってきます。


●ミニエッセー155「クラブ活動の思い出1・小学校時代」
これを書くまでに何とか思い出そうと努力したのだが、だめだった。小学校の時のクラブ活動の全貌についてである。
私の通っていた小学校では、5年の2学期(当時は3学期制)から全員必ず何らかの課内(授業の一環として)クラブに入って活動しなければならなかった。
私は当初、父が囲碁をする人だったので、相手になれれば良いかなと、「囲碁クラブ」に入ろうかと思っていたが、女子がいないと知り、思い直して、比較的得意で担任が顧問であった陸上部に所属することになった。
普通なら仲良しの子と同じクラブにするとか、もっと女の子らしいことをやってもよさそうなものだが、私は一人でわが道を行ったから、たいしたものだ。それは、いまだに変わらないスタンスである。
そして、5年生の夏休みが明けて何回目かのクラブで、走り高跳びの練習をしている時、私に異変が起きた。ジャンプ力があり、走り高跳びが得意だったのに、低い高さでもまったく足が上がらず、跳べなくなってしまったのだ。先生は、あまりに私が不調なので、後半は見学しているようにとおっしゃった。
そのうち詳しく語ろうと思うが、実はその時高熱があり、帰りには足が動かなくなってしまった。それでも30分かけて一人で家に帰ったが、それが難病のリウマチ熱との付き合いの始まりだった。やがて全身の関節という関節すべてが激しく病み、私はその翌日に即、入院した。しばらく熱と痛みに苦しみ、車いす生活を余儀なくされた。
およそ1カ月の入院と数週間の自宅療養後、学校に復帰してもその年度は一切運動禁止だったため、結局陸上部の活動は免除になった。
少しずつ回復した5年の3学期や6年の時、一体何のクラブに所属したのか、仲の良い友達と一緒だったのか否か、何も思い出せない。どうしてだろう。病気のショックで記憶が飛んでしまったのか。いや、ほかのことは覚えているのに、困ったものだ。学校好きの私だったのに、それくらい力を入れていなかった、さしも興味も思い出もなかったということかもしれない。
その時の状況を考えると、文化系を選んだはずだ。消去法でたどってもみたが、何の映像も浮かばないのである。
ヒントとしては、中学に入った時に迷わず地味な「読書クラブ」に入ったこと。もしかしたら、6年の時もそうだったかもしれない。(続く)
【2007/01/13 00:04】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(4)
緻密な逆算
マミデザート
ちょいとぼけてますが、マミさんがデザインしたホワイトチョコのプレートの絵。りんごのゼリーもおいしかったです。

3月明智ツアー第2弾の飛行機手配をしたところですが、「どうしてもある日の3時公演の途中で帰らなければいけないが、ぎりぎりまで観たい」ばっかりに、何時まで席(運良くブロックの端の席)にいられるか、空港までの各交通機関の時刻表とにらめっこ。中詰はなんとか観れるかなぁ・・・。うーむ・・・。
そこまでするか、わっちさん・・・。するよ、わっちさんだもん。


●ミニエッセー154「ヅカ生活とパソコン5・職場での私用に関する提言」
当然のことながら、職場の個人PCは職場に借りている物で、デスクトップに好きな写真を設定したり、ニュースや天気を見るくらいは許されると思うが、仕事以外には使用してはいけない。それが基本だ。
会社によっては、ネットでの閲覧サイトを規制していたり、閲覧状況やメールの相手先をチェックされたりすることもある。
が、今や仕事で辞典・事典・電話帳・郵便番号簿その他調べ物の本代わりのネット利用や、ネット上やメールでの情報収集や連絡は必要不可欠になっており、その中で厳密に私用かどうかまでを管理できないだろうから、結局は個人のモラルにかかっているということになる。
わが職場でもアダルトサイトやショッピング、オークション、ゲームなどができないようになっている。それは当然だ。
しかし、せめて昼休みくらいは、休憩室でテレビを見るのが許されているのと同じように、私用で利用するのを許してほしいものだ。いや、本音を言えば、昼休み以外にもどうしても使用したいことがある。
さぼりたいわけではない。時間が勝負のことがあるからだ。
私の場合、共働きで、平日家に用事を頼める家族はいない。これもヅカ生活ゆえではあるが、最も困るのは飛行機やホテルの予約だ。バーゲン期間や連休などで混む日の席や部屋を予約するには、発売日の発売開始時間から早いもの勝ちとなる。電話や携帯電話のネットでも可能かもしれないが、席を離れる行為よりは良いのではないかと思う。
自分で無線LANのモバイルPCでも用意して持ってこいと言われるかもしれない。しかし、使うとしたら昼休みしかないだろう。私の職場の場合、もしも1時間の昼休みに昼食を取り、PCを持ってきて用意をしていたら、使用する時間などないに等しい。
何も無料でサーバーを貸してほしいとは言わない。私用で使用する時は、何とかしてタイムカウントして、料金を支払ってもいいと思っている。給料から引いてもらって構わない。
タバコを吸う職員は、一日に何回もふと座席から消えて喫煙室に行くことがあるではないか。ヘビースモーカーは、特にだ。一仕事ごとに消える。それでもとがめられることはない。つまり、適宜の休憩が認められているわけだ。
それがOKなのだったら、タバコを吸わない人の席での休憩として、その間にちょっとPCを私用で、しかも有料で使うくらいは、許していただきたいものだ。もちろん、ほんの数分だけの話だ。あまり頻繁な人には罰金や処分を課せばよい。
また、メールについても、今の時代、家族からの急な連絡などもあろう。こそこそ電話したり、仕事中に個人の携帯をそばに置き、マナーモードをブルブル言わせている人よりは、静かに交信している分、良いと思うのだが・・・。(ただし、私も仕事上必要な時だけ席で携帯電話を使う。取材先の人から急な連絡などがある場合だ。勤務時間外の連絡用に電話番号を教えることがある。携帯電話は支給されないので、仕方なく個人のを使っているが、私のような仕事の場合、支給してもらいたいものだ)
これだけのネット社会だ。PCが目の前にあれば、誰しも公私にわたるあらゆる情報が気にかかるのは当然である。管理とモラルについて、まだまだ考えなければならないことがありそうだ。

【2007/01/12 00:30】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
CSでおさ・あやファントム東京トークを
カクテル


<お知らせ>
リンクを増やしました。それぞれ、のぞいてみてくださいね。

写真はマミさんのクリスマスディナーショーでのオリジナルカクテル「On and On」です。お酒飲めない私でも、おいしかったなぁ。もう一度飲みたい。レシピ聞いておけば良かったよ・・・。

どうも、転んで左足の靭帯をのばしてしまったらしく、
階段もまともに上がれません。
私の寝室(ヅカルーム)は2階なんですけど・・・とほほ。

先日CSで放送された昨年秋のファントム東京公演のトークショー、面白かったぁ。特にあやねちゃんの天然ぶりに笑いまくるおさが・・・。


●ミニエッセー153「ヅカ生活とパソコン4・ブログについて②」
そうしてブログを開設し、親しい人たちにメールで「時間がある時のぞいてね」と伝え、私のブログ生活がスタートしたわけだ。PCに向かう時間はますます増えてしまった。
毎日更新する予定ではなかったのだが、始めたのがお盆休み中で、最初のうちにかなりエッセーを書きためてしまったので、勢いで「毎日」ということになった。
できるだけ写真があった方が楽しいという妹のアドバイスで、その日の出来事とは無関係な写真になってしまうことがほとんどだが、アップを実行している。
タネ明かしをすれば、時間に余裕のある時に写真部分とエッセー部分は下書きとしてかなり先まで書きためて用意している。写真の取り込み作業やエッセーの校正に相当時間が掛かるからである。
リアルタイムな写真がベストなのだろうが、忘れかけたころにちょっと前を振り返るのもいいのではないかと勝手に考えている。
それでも、毎日はあっという間に過ぎる。「あ、大変だ。エッセーのストックがなくなってきた」と、あわてることもある。
短い日記部分は、旅行でPCを持たない時以外は実際に毎日書いている。
ところで、日記やエッセーのタイトルがだぶらないように、記録を付けているし、何日かごとに記事はすべて印刷している。それは、癖のようなものだ。仕事上でも担当した編集記事のタイトルなどが過去のものとだぶらないようにいちいちメモしているのを応用している。
ブログ上でタイトルを付けるのに私なりにこだわっていることは、日記については「宝塚な日々」である限り、なるべくそのファン生活に関係したものであること、ファンの方に内容が察しがつくようなものであることだ。そして、エッセーのタイトルも、あまりひねったものにしないことにしている。
センセーショナルなタイトルを付けて「これは何だ?」と引き付ける手法もあるが、ここではあえてそれは避けている。
マイブログ記録も150回を超えて、かなりのボリュームになった。ネタもよく尽きないものである。本業(プロフィールにあるように、それは副業という噂もあるが)も書く仕事であり、日々編集作業の連続で、果たして疲れないか、嫌にならないかと心配もあったのだが、続いているのはひとえにこんな未熟なブログでも楽しみにしてくれる方がいるおかげである。本当にありがたい。
時間がないこともあり、リンク仲間の方以外の宝塚ファンの方のブログはなかなか訪問できない。きっとそれぞれにその人らしい世界を築いていて、宝塚やひいきの生徒への愛の深さを表現していることだろう。
リンク仲間やコメントを下さる方々には、いつも励ましと勇気をいただいている。この場を借りて感謝したい。物理的な距離は遠くても、心が近い気がして、北国だからという疎外感もまったくない。
使い方を誤ると怖いという面はあるが、ネットでのコミュニケーションはとても楽しい。
しかし、これ以上は時間的に無理である。誘いを受けたことがあるミクシィなどソーシャルネットワーキングサービスへの参加も遠慮している。(続く)




【2007/01/11 00:15】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(8)
仕事再開つらし
ナイトとデー
ホテル阪急の1階のレストラン「ナイト&デー」のペーパーマット、しゃれてます。コールポーターの曲「ナイト&デー」の楽譜ですもんね~。思わず歌っちゃうよ♪

昨日から仕事が再開しましたが、朝早く起きること、車で40~45分かけて通うことがつらいやーねー。
しかも、いきなりしょっぱなからつるつる路面で派手に転び、全身打撲状態に・・・つらすぎるやーねー。

大阪から送った荷物が届き、恒例のお土産やグッズ仕分けに必死です。次のフライトは来月友人親子とのTDR(東京ディズニーリゾート)です。楽しみやなぁ。


●ミニエッセー152「ヅカ生活とパソコン3・ブログについて①」
7、8年ほど前から職場の宝塚愛好会の先輩にわっちさんは、ブログをやるべきと言われていた。ちょこちょこ仲間向けに宝塚関連のエッセーを書いていたり、ヅカノートのことが知れ渡っており、ホームページ(HP)より簡単なブログで公開してはと勧められていた。
しかし、当時はまだ今ほどPCに慣れていなかったし、私が興味をかりたてられたり、参考にしたい個人ブログにも出会っていなかった。それでも、いつかは始めたいという気持ちだけはあった。
昔なら不特定多数の人にお披露目する手段は、費用の掛かる自費出版くらいしかなかったが、ネット時代になり表現の場としてのHPやブログの有効性は十分理解していた。
けれども、相当それに時間を取られてしまうのではないかという懸念が自分に歯止めをかけていた。
ところが、昨年の春に事業を興し、ブログを始めた妹の一人が実に楽しそうにPCに向かっている姿や実際の彼女のサイトや反応などを見て、ひょっとしたら私にも向いている世界なのかもしれないと思ってしまったのだ。
ただの「思い込み」だったかもしれないが、この思い込みというのは結構大事なもので、思い立ったらすぐ行動する私の原動力とも言える。
昨年の8月のお盆休みの少し前に、どんなタイトルで何を披露するか、だいたいのネタなどを考えてワードでばっーと打ち、翌日ブログの先輩である妹に見せた。
タイトルは、地方の宝塚ファンならではの話を織り交ぜたいからということで、「北海道発」と「宝塚」を入れることは意見が一致したが、妹は「内輪でしか使わないわっちさんって、変じゃない」と笑った。「あ、それ、それ。変と思われるのがいい気がするのよ」と、決定した。
内容は、当初今のように毎日写真を入れる計画はなかったので、単純に宝塚にかかわる素直な日記とミニエッセーとした。
一応、書くプロなので、例えば純文学風とか、ユーモア小説風とか、ギャル言葉風とか、毒舌評論風とか、どんな文体でも書けるが、なるべく読みやすく、軽くも重くもない普通の文体のエッセーにすることにした。
エッセーのネタは、宝塚のことばかりでは自分自身が飽きるので、今までの経験や日々の生活の中の何気ないことなども取り混ぜて構成するようにした。
そうと決まれば、どんなサーバー会社を利用するかである。妹に計画書を見せたその日のうちにネットで検索して、無料で利用できる何社かを比較してみた。決め手は、なるべく更新や下書きが簡単にできることと、自分の趣味に合ったテンプレートがあるかだった。
それでFC2を選び、もしも参加してもすぐ取り消しがきくというので、とにかくよくよく説明を読みながら、とりあえず1回目を作ってみた。
「まあ、いいんじゃないべか」・・・それが、そのままスタートとなった。
すぐ妹に電話しアドレスを伝えて、見てもらった。「え、今日言ってて、もう始めたの?」―電話の向こうで感心というより、あきれたような声が聞こえたのは言うまでもない。(続く)
【2007/01/10 01:22】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0)
月組さん感想・ショー
阪急ツリー


「お詫び」
とても古い話になってしまい、恐縮です。
昨年11/27に「管理人へメッセージ」をいただいたトントン様へ
実は昨年の11月中旬から「管理人へのメッセージ」コーナーをチェックするのを失念しており、本日気付きました。
せっかくメッセージをいただいていたのに、今まで返答のコメントも掲載せず、失礼いたしました。
「まったく知らなかったことをお教えいただき、ご指摘心から感謝しております。おかげさまで、助かりました。
お教えいただいて、すぐにエッセーの内容を訂正させていただきました。
ただし、ご本人もご発言済みのこととは言え、スターさんのプライバシーにかかわる事柄でしたので、貴コメントの公開を避けさせていただきました。何卒ご了承ください。これからもよろしくお願いいたします。」

すぐに、これを掲載すべきところ、忙しさにかまけてすっかり忘れてしまい、この場を借りて心よりお詫び申し上げます。

写真⇒ホテル阪急インターナショナルのショッピングモールはいつも豪華なオブジェがありすてきです。昨年のクリスマスはこんな飾り付けでした。

さて、月組さんの「ファンシー・ダンス」ですが、ごめんなさい、少し辛口になります。
とにかくコンセプトが分かりにくいのがつらいですね。1回しか観ないからでしょうか。
メリハリがないというか、全体の印象がいまひとつ、薄いんです。
どこかで見たパターンばかりで、たった一つでもいいから、目新しさがほしかった・・・。
麻子さんをはさんできり・ゆうひという「豪華3並べの構図」に頼っているようにも感じますね。
麻子さんをはじめ、みんなどの場面もかっこう良くすてきに踊ってはいるのですが、一つ一つの「場面としての魅力」が伝わってこない。
それは、とにかく本のせいに思えます。
好きな人もいるかもしれませんが、使われている曲もぱっとしないです。
何をもって「ファンシー」なのかな?
三木先生だけが分かっているという気がしてなりません。
芝居が面白くて救われましたが、客席が一体となって気持ちよく乗って手拍子できるところもそんなになくて、少し残念でした。
それにしても園加ちゃん、ずいぶん目立ってたなぁ。一生懸命って感じでちょっとじーんときました。早く月組さんになじんでほしいと思います。

今回は芝居・ショーとも主人と意見が一致しました。


●ミニエッセー151「ヅカ生活とパソコン2・お気に入りサイト」
宝塚ファンの皆さんは、劇団公式やHANKYUBOOKS(プログラムやグッズなどの通販サイト)、TCAピクチャーズ(ビデオなどの通販)以外ではどんな関連サイトをよく見るのだろうか。
私の現在の自宅PCでの「お気に入り」を見てみる。
まずはヤフー。オークションやショッピングの常連だ。天気もよくチェックする。次に、各航空会社、新幹線予約や各種ホテル関連が来る。そして、ぴあをはじめとするチケット取り扱い会社。会員になっている劇場関係や劇団四季のサイト、チケット代行業者や定価のチケット売買サイトもある。
それから、地方人にはありがたい阪急交通社の宝塚関連サイト。ラガールカードを取り寄せるためのサイトも見る。スカイステージ、各種スポーツ新聞の芸能情報などの中の宝塚関連コーナーも。
郵便局、「ベルばら」関連グッズ販売サイト、カード会社のおさちゃんのコーナー、真琴つばささんや香寿たつきさんの公式、OGのブログ、ブログサーバー会社。この辺りまでが直接的な宝塚関連だろうか。
ファン個人の運営サイトはあまり見ないようにしている。腹の立つ書き込みなどを目にしたくないからだ。
そのほか、ネットバンク、加盟カード会社、CDや食べ物、雑貨の取り寄せ系、有名通販会社、JR時刻表、宝塚以外で加入しているファンクラブ関連、宝塚関連以外のお気に入りブログなどが続く。
さらに、主人の趣味の関係なども含めて、70近く並んでいる。
観劇の旅以外ではあまり出歩かないのも当然である。銀行振り込みも買い物もネットで済んでしまうわけだ。時刻表やら地図や旅本なども買わなくても、何でもすぐに調べられる。
また、デスクトップにもいろいろなソフトが入っており、自分でオリジナルのポストカードやシール、ラベルを作ったり、デジタル写真などを加工処理したりできるのだから、職業柄からも印刷業者さんには申し訳ない限りだ。
当然、これくらいPCを使うのだから、高速インターネットであり、容量も大きくしているし、費用は掛かる。ノートPCも持ち歩いている。それでも、もう後戻りはできない。この文明生活が当たり前になっているからだ。
しかし、いつ天災に見舞われるかもしれない。落雷などでPCが駄目になり、さまざまなデータを失って途方に暮れた知人を何人も見ている。頼りすぎないように、振り回されないように、そして、セキュリティーやデータバックアップ対策が必要とは自覚している。(続く)
【2007/01/09 01:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
月組さん感想・芝居
らぴーと

南海電鉄の関空~なんばを走る特急「ラピート」のスーパーシート。空いていて、ゆったりできるので好きなんです。昨日は運休(昨日の記事をご参照ください)でしたが。
正月休みも今日で最後・・・ああ、仕事に行きたくないよぉー
さて、月組さんのお芝居「パリの空よりも高く」ですが、「天使の季節」よりも破綻が少なくてとっても良かったです。肩が凝らない話で、テンポも良く面白かった~。菊田一夫先生の原作アレンジだそうですが、あれは実話から考え付いたのでしょうか?
麻子さんは、悪くなりきれない愛すべきペテン師、上手でしたね。特に最後の引っ込みの表情には感動しました。今後、もっと自由自在にアドリブを入れていくのではないかな。ファンの方にはたまらない楽しみになるはず。
少しおばかだけれど、麻子兄貴が大好きな弟分のゆうひちゃん、いつもより出番が多く、大活躍といった感じ。かわいらしい雰囲気で、軽妙な男役芝居も上手いという面が見れました。
情けない風貌、でもラストには・・・。まじめで熱い人柄に合っているようなきりやんの役。時折かすれる声が心配ですが、月組男役の歌唱リーダーぶり、健在でした。
ちょっと変なおぼっちゃま、はるひさんはもっともっと弾けてもいいのにと思いました。
私が注目している演技のなかなかうまい明日海りおちゃんがかなみちゃんの弟として抜擢されていてうれしかったですが、そのかなみちゃんは主役級3人からただ求愛されるだけのような寂しい役割で、残念。
もっと麻子さんとからませられないの?植田先生って、とにかく男3人の物語しか書けない?ほかの脇役も描き方は雑でした。たきちゃんや未沙さんは、自分のキャラを持っていてさすがでしたが・・・。
それから、併演のショーがあるのだから、お正月とはいえ、オープニングの長いレビューは少し減らし、芝居にからませ、せっかくの楽しい内容を厚くすべき(特に恋の部分)では?と感じました。
花組っ子だった園加ちゃんがいることに、ちと違和感がありましたが、元気そうで良かったです。
明日はショーについて書きます。

本日は「わんこのきもち」社長さんの誕生日、おめでとう


●ミニ・エッセー150「ヅカ生活とパソコン1・使い始めたころ」
宝塚生活には欠かせないパソコン(PC)。いいや、いまや「生活」に欠かせない代物になっている。
宝塚ファンのPC利用率はかなり高いと思われ、しかも結構年齢の高い方でも使いこなしているからすごい。確かに、も早公演情報やチケット入手など、PCのインターネット(以下、ネット)やメールなしでは観劇が楽しめない時代になっている。
私の場合、仕事では早くからオフィスコンピューター(オフコン)を使っていたが、個人にパソコン端末が与えられるようになったのは10年弱前くらいからで、ワープロも撤去されたため、いやがおうでも自分のものにしなければならない状況になった。
PCはかなり前から自宅にもあり、主人は時々触っていたのだが、私は苦手意識があり、職場である程度使えるようになってから、自宅でのPC生活へと入っていった感じだ。
今、人並くらいには使えるものの、グラフィック系の方はてんで駄目。凝ってしまうと奥深く入り込みそうな自分が怖いので、セーブしているところもある。
仕事ではもちろん、自宅でもPCの前に張り付いている時間は相当長い。体に良くないことは重々承知しているが・・・。
ところで、最初にメール交信が成功した時やネットでサイトを見た時の感動をよく覚えている。原理をよく理解している人には当たり前の世界なのだろうが、私はとにかく理論より実践が先だったので、だんだん使えるようになっていくのが妙にうれしかったものだ。
ネットに関しては、試しとしてやっぱり何よりも先に宝塚歌劇団の公式ホームページを最初に見た気がする。
当時は公式サイトの中にチケットやグッズの個人売買ができるコーナーがあり、よく利用していた。チケットは定価以下の取引がルールだった。珍しいグッズや、あきらめていた過去の物などもそこで入手していた記憶がある。それで見知らぬ人とのネット取引のマナーなどを学んでいった。
今考えてみると、劇団自身がそれを公に認めていたのだから、画期的だった。が、やがて案の定頻繁にトラブルが起きるようになり、いろいろな問題が発生し、そのコーナーは廃止された。それで、チケットやグッズの取引に関しては、みんなほかの個人ファンが運営するサイトやオークション系などを利用するようになったわけだ。
それから、公式サイトには公演の感想や意見を投稿したり、ファン同士のQ&Aなどのコーナーもあった。それもまた予想通り、議論が白熱したり、「荒らし」的な書き込みで無法地帯のようになり、廃止された。ファンは一人ひとりひいきも作品の好みも、宝塚に対する考え方が違うのだ。辛口な投稿に対して、スルーできない人も出てくるのも仕方ない。どんなに劇団側に身分を明らかにする方法を取っても、偽名やアドレスの変更などで、対応しきれなくなったのだろう。
ちなみに、私も純粋に親切のつもりで登場人物の名前に関するQに答えたら、別な人から「それはまだ作品が本決まりになる前のフルネームだ。変わることがあることも知らないの」何だとばかにされた書き方でケチを付けられ憤慨したことがある。言い回しさえソフトなら素直に「そうでしたか、知らなかったので申し訳ありません」と返せたのに、何を書き込む気力さえ失せた。以来、ほかの感想やQ&A的なサイトにも一切参加しないことにしている。
さらに数年前から、かつて劇場付近でよく行われていた「さばき」(ただし、ダフ屋とは違いたいてい定価以下でのやり取り)が、条例により厳しく取り締まられるようになり、ファンは余ったチケットの処理や持っていないチケット探しのために、ますますネットに頼らざるを得なくなった。
また、昔は電話をかけて予約するしか手がなかった一般発売分も、今は一部ネットでも挑戦でき、チケット取り扱い会社や劇場の会員対象の「先行予約抽選」などもある。本当に便利になった。そして、あらゆる情報チェックに本当に忙しくなった。(続く)
【2007/01/08 12:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(2)
神戸旅行断念
ざわつりー

まだクリスマスネタで申し訳ないのですが、わが街の名物の「のっぽツリー」です。

本日は主人と神戸・北野の異人館をまわって
夜遅くに帰ってくる予定でした。
しかし、今朝大阪に雪が降り、梅田のホテルを出て三宮に向かう
予定だった午前11時なんと吹雪に!!
全国的に天気が悪く、万一飛行機が飛ばなかったらまずい、
神戸はいつでも行けるけど、あさってから仕事だし
幸い、変更可能な普通運賃の航空券を買って発券してあるし、
早い飛行機に空席があったら、それに乗って帰ろうと
観光を取りやめて、とにかく関空へ行くことに。
ところが、なんばまで行き、いつもどおり南海電鉄に
乗ろうとしたら、強風のため関空の手前の鉄道橋が通行止めで、
関空行きの特急快速ラピートは「運休」ときたもんだ。
とりあえず急行で「りんくうタウン」まで行き、そこから
代行バスに乗るよう教えられ、何とか関空に到着。
JALの新千歳行きは、私たちが乗る予定だった
18時50分発の前は13時5分発しかないのですが、到着したのが
出発の20分前で、飛行機は何とか飛びます
とのことでしたが、掲示板には「満席」の表示。
普通ならそこであきらめますよね。
でも、旅慣れたわっちさんは、あきらめませんでした。
ちょうど搭乗手続きを締め切る前くらいの時間。
ラピートの運休を知らず、われわれの乗った急行&代行バスにも
乗れなかったお客さんが関空まで来れず、空席が出るとふみ、
カウンターに行き、「だめもとで空席待ちさせていただけませんか」と頼むと、遅れたお客さんたちには申し訳なかったものの
幸運にも空席が11席出て、空席待ち8・9人目だった私たちは
乗れることに!!
しかも1番前の席になり、乗るのは最後から二組目だったのに、新千歳に着いた時は1番に降りちゃってすいません・・・みたいな。笑。
神戸で使う予定だったおこづかいは、機内ショッピングと新千歳空港でのおいしいお寿司屋さん「千両」のお寿司に化けました。
関空では千歳、札幌地方は雪と聞いていましたが、
おかげさまで、晴れており、晴れ女の本領を発揮できました。


●ミニエッセー149「友人のこと11・尊敬と感謝と」
具体的には出さなかったが、生まれて42年、すてきな男友達もいたし、ほかにもたくさんの友人や先輩、後輩に出会ってきた。
また、私がいろいろな町にいたせいで、広い北海道なのに、「私もわっちさんを知っている」と、全然別の友人同士が結び付いたりということもあった。
友達運が悪いという人もいるが、私は怖いくらいに恵まれていた。考えてみると、積極的に自分からアプローチしなくても、自然に良い関係が構築されてきたという感じがする。
幼稚園の時から高校生になってまでも「転校生」の立場だったため、好奇の目で見られたり、どうしても目立ってしまうことで特に上の学年の人から誤解を受け、意地悪されたこともあったが、良い仲間たちのおかげで乗り越えられ、ずっと楽しい学校生活だった。
今も職場で人間関係に悩むこともなく、趣味の世界でもベストな交友が続けられている。その一環でもあるこのブログでは、実際会ってはいなくてもたまにコメントしてくれる方たちや相互リンクの仲間たちにもとても恵まれている。
例えば、いいように利用されたり、けんか別れしたり、大きなトラブルに巻き込まれたりという経験がないのは、私の場合「基本的に人見知りである」ということが幸いしているように思う。
つまり、他人に対して適度な距離を持ち「自分」を見失うことがないので、なんでもYES(特に保証人になったり、お金の貸し借りは絶対に良くない)と「お人よし」になることもないし、やたら交友を広げない代わりに、どんな忙しくても友人たちに礼節を欠かないでいられる。
何十人もの友人とそれぞれ濃い付き合いをするというのは、私の生活スタイルからも無理なのである。そう、無理が生じるような付き合いはするべきではないと思う。
私が宝物である友人たちに対して普段心掛けていることは、年齢や立場に関係なく尊敬と感謝を忘れないことである。すなわち、特に自分にはないところを尊敬して見習い、学ぶ姿勢でいること、そして友人のおかげで人生を豊かにしてもらっていることに感謝すること。「親しき仲にも礼儀あり」―私の好きな言葉だ。
数年前に入院し、精神的に一番つらかった時に、家族はもちろん、友人や職場の仲間に見舞いに来てもらったり、励ましてもらい乗り越えられた時は、本当に何度感謝しても足りないほどだった。
その時の気持ちを胸に、私も友人がつらい時に少しでも心の支えになれるような存在でありたい。
【2007/01/07 19:27】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(9)
お年玉に歓喜
カラオケ
先月カラオケに行った時にパチリ。妹がEXILEを歌っております。

本日、村へ行き、月組公演を観ます。
寒い植田ギャグが心配ではありますが、昨年秋の全ツに続き
あさこちゃんやゆうひちゃんの活躍を、そして
とても久しぶりなきりやんを楽しみにしています。
若手もチェックせな!!
感想は少し後になりますのでよろしくです。

昨日、歌劇団からお年玉をいただきました。
というのは、おさちゃんのルドルフ写真付き、直筆サイン色紙が届いたのです。きゃあああああああああ
実は先日決定した東京宝塚劇場カフェのネーミング募集に応募していたんですね、わっちさん。すっかり忘れてましたけど。
採用されたら最前列公演招待で、その次の景品が好きな組の男役トップスターサイン色紙だったようです。
おさちゃんのサイン色紙はすでに幾つか持っているのですが、やっぱり新春から縁起が良い気がして嬉しかったです。


●ミニエッセー148「友人のこと10・短大、大学時代」
札幌のある女子短大(大学も併設されており、サークルは一緒だった)では、フォークソング(実際はいろんなジャンルの歌をやっていた)サークル活動中心の生活で、前回書いた親友T坊、そして偶然同じ短大に入学したT町の中学時代の双子の同級生A姉妹も同じサークルだったので、彼女たちとは付き合いが深かった。
1年の後半からは、A姉妹の姉A・Yちゃんがサークルの部長、私が副部長になりT町コンビで運営したのも大切な思い出だ。
先輩たちにもいろいろとお世話になった。その時の先輩S・Kさんとは、今も年賀状をやりとりしている。
ちなみにA姉妹の妹A・Mちゃんは、昨年12月8日のミニ・エッセー119に登場する愛猫を亡くしたMちゃんである。
また、クラスではたまたま授業で並んで座った明るく優しいスポーツウーマンのK・M嬢、大人っぽくてバイト命のS・M嬢、それからK・M嬢の友達で個性的でスタイル抜群のI・N嬢と仲良くなった。皆、大勢で群れるのが苦手なタイプだったのかもしれない。
たまに代返をし合ったり、ノートを貸したり、彼氏の話で盛り上がったり、それぞれのサークルやアルバイトの話をしたり、青春そのものだった。
女子だけの世界というのは、私にとっては初めてで、最初はやっていけるのだろうかと心配だった。その短大は北海道では有名な「お嬢様学校」で、自分だけ場違いに思っていたのだ。
しかし、やはりいつでも一生懸命な良い仲間にめぐり会ったおかげで、すてきなお嬢様たちの世界を堪能できて幸せだったと思っている。傍から見たら一応私もその中にいたのだろうが、申し訳ないけれども財布に何十円しか入っていないという日が多く、食堂にも行けず、何も買えず、妹が残してきた給食のパンをもらって持って行っていた私は、明らかにお嬢様ではなかった。
時代が良かった。特にわが母校には求人がわんさかあり、就職には皆困らなかった。友人たちは、それぞれの道へ進んだが、いまだにその道一筋なのは私くらいだ。
社会人になってから慶應大学の通信教育学部で学んでいたため、職場の夏休みには東京へスクーリングに通っていた。そこでは真剣に勉強に集中したかったので、わざと友達を作らないようにしていたが、それでも数年の間に何人か話をする程度の仲間はできた。皆、あの厳しい大学を卒業できたのだろうか。中退した私としては、気になる。(続く)
【2007/01/06 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(4)
逆転生活修正
寿
寿がきやさんのカップそばに浮かぶ「寿」の乾燥かまぼこ。寿美礼の「寿」!!!やっほー(正月からあほ)

明日、朝早く村へ出発なので、少しでも昼夜逆転生活を修正しなければ・・・と、昨日主人が札幌までドライブに誘ってくれたので、お気に入りの店で買い物してきました。
ついついステーショナリー類に手が出ますわ

さあ、旅支度、旅支度・・・

あ、CSニュースで元旦の拝賀式や鏡割りの様子などを観ました。
きゃぁぁぁ、ますますおさに会いたい・・・


●ミニエッセー147「友人のこと9・高校でできた親友」
高校に入って転校し、今住んでいる町の隣町の新しい学校のクラスではしばらく友達らしい友達がいない状態だった。それはそうだ。5月の後半という半端な時期で、皆だいたいのグループ分けが成立していたからだ。
ただ、ありがたいことに通学仲間は1日目からすぐできた。私が家のそばから乗る駅までのバスに1人で乗っていた隣のクラスのまじめそうな子に学校までの道のり(手続きの時は父に車で連れて行ってもらった)を訪ねたのがきっかけだった。そのM子は同じ学校の制服で、バッジが同じ1年だったので、勇気を出して聞いたのだ。
夏になり学校祭の準備が始まると、仮装行列でたまたま私はT坊という優しくて世話好きでさっぱりした気性の子と同じ格好をすることなった。それからT坊と仲良くなり、同じクラスやほかのクラスのT坊を慕う仲間たちとも付き合いが始まった。M子も偶然にT坊と同じ中学で、皆そろって私の住む町から通う電車通学だった。
その学校祭でのクレオパトラ(男子が演じた)の侍女という仮装がなければ、私は楽しい高校生活が送れなかっただろう。
やがて、Yさんという演劇部の友人もでき、いつしかT坊とYさんと私は無二の親友になった。2年になってT坊だけは別のクラスになったのだが、偶然また同じクラスになったYさん私と3人で交換日記ならぬ「交換テープ」を続け、変わらぬ友情を保ち、それは別々の町に住み、なかなか会えなくなった今でも続いている。
彼女たちがいたから、恋やさまざまな悩みを分かちあい、時にはけんかもしながら、成績を競いながら素晴らしい高校時代を過ごせた。
高校を卒業し、T坊と私は同じ短大に進んだ。学科は違ったが、同じサークルだった。T坊は住む町の保険屋さんに就職し、短大時代のアルバイト先で知り合った方(小学校教員)と結婚して別の町へ移り住んだ。私と同じで子供はなく、今は某大学の嘱託職員として勤務している。
Yさんは、高校卒業後に看護学校へ進み、その後看護師・保健婦としての実務や海外青年協力隊、海外の大学院での研究生活などを経て、北海道大学大学院を修了した方と結婚し、双子を生み育てながら夫婦で道外の大学で教員をしている。
3人は親友とはいえ、趣味趣向も違えば、学生時代に研究していたこともまったく異なる。しかし、どうだろう。全員が夫婦そろって、立場は違っても教育関係者になった。この世に幾つも職業の系統があるというのに、とても不思議である。
ただ、3人は簡単にいうと、真面目で、真正直で、何事にも一生懸命で、誠実な女の子たちだったかもしれない。そして皆、感性が豊かだった。
私よりさらに小柄なT坊は、私の結婚式で友人代表を務めてくれた。私の幸せがうれしいと、あいさつの途中で泣いてしまった。一見、さばさばしているが、非常に知的で、そして温かな陽だまりのような人だ。
美しく、清廉潔白で、堅物とも言えるYさんは、私が宝塚にはまったことを「ロマンチックなわっちがはまるのが分かる。良いものに出会ったね」と喜んでくれた。人の挑戦すること、好きなものに対し、絶対引き止めたりばかにしたりしない女性だ。私もT坊も彼女が高校を卒業し、最初は3人共同じ短大に進む予定だったのに、自分の道を行くと言った時、寂しかったが決して反対しなかった。今の彼女の活躍を思えば、それで良かったのだと確信している。
2人は私の自慢である。(続く)

【2007/01/05 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(4)
カレンダー掛け替え
Mちーにもらった

1/3夜から1/4午前1時くらいまで、サーバー障害でこのブログをご覧いただけませんでした。訪ねていただいた方、申し訳ありませんでした。(FC2さま、何でよくblog53はあかんのかねぇ)

Mちゃんの娘さんMちーにもらったクリスマスプレゼント。私も小さい時、こういう物を作るの大好きだったな。いや、今でも好き!!

元旦にカレンダーの掛け・置き替えをしましたが、今年、ヅカルームにはスターカレンダー、おさちゃん・ゆうひちゃん、ゆみこちゃんのパーソナルカレンダー、宝塚卓上カレンダーを、廊下にはステージカレンダーを、そしてトイレにマミさんのカレンダーを(笑)。
あ、VISAのおさちゃん卓上カレンダーがない!!
何とかして入手したいものです。


●ミニエッセー146「友人のこと8・幼なじみの思い出③」
中学1年の秋、T町に戻ってきたが、その年も翌年も、話す友達はいるにはいたが、やはり途中参加の身で、何かしっくりいかないものを感じていた。
しかし、仲良くなった時期の記憶があいまいだが、中学後半は、学校祭か何かの行事で一緒になったH・Yちゃん(愛称H)と意気投合し、コンビを組むことになった。それで、中学後半が精神的に安定して、とても楽しく過ごせたのだ。
彼女にはとても失礼な話だが、担任の先生から、こんなことを言われたことがある。個人面談の時に「Hと仲が良いのはかまわないが、君たちは学力の差が激しすぎる。高校受験のことを考えると、彼女に勉強を教えるばかりではなく、上位グループの子たちとも仲良くして、切磋琢磨した方がいいと思うよ」。
先生は、いつも私が教え役で、私自身の勉強に支障を来たすのではと心配したのだろうが、大きなお世話だと思った。確かに、勉強の苦手なHだったが、誰よりもきれいで、それにも増して心も美しく、面白くて、朗らかで、温かかった。
私にとっては、自分の学力が向上することより、彼女と付き合って心が安らぐことの方が大切だったのだ。
3年の12月、冬休み前のある日、学校の帰り道で彼女が、なかなか授業について行けないこと、私とは別の高校に行かざるを得ないことなどに悩んで、ふと「私はどうして頭が悪いのかな。死んでしまいたい」と言った。
私は何気なく「大晦日のレコード大賞や紅白歌合戦を観ないで死ぬことはないんじゃない。年が明けてから考えたら」と答えた。特別に意味はなく、自分自身がとにかくテレビの歌番組が好きだったので、とっさに出た言葉だった。
今、考えると友達の真剣な悩みに対して、何てしょうもないことを言ったのかと思うが、彼女も「うん、そうだね」と納得したからかわいいものだ。
だが、他人の自殺願望を初めて耳にした私はそれなりにショックを受けて心配になり、両親に「そんな答えで良かったのかな」と話してみた。すると、両親は「お姉ちゃんらしい。それでいいんだよ。それ以上の素晴らしい助言はない」と大爆笑した。
もちろん、Hは冬休み明けに元気に登校してきた。
高校も違い、すぐに私は転校で町を離れたため、彼女と過ごした日々は長くはなかったが、最もナイーブな時期に手を取り合っていただけに、濃厚な思い出になっている。
彼女は地元で結婚し、苦労しながらも良きお母さんになっていると噂に聞いた。そして、私の名前を聞くだけで懐かしくて涙が出るという。そうだ、彼女はそんな人だった。もし、再会できたなら、たぶん私も涙が止まらないだろうと思っている。(続く)

【2007/01/04 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(4)
意味ある年賀状
アップこじ

昨日の続きで、起き上がったコジさんです。

メール・ブログ時代になったとはいえ、年賀状ってやはりいいものですよね。
毎年、加入している各ファンクラブからも年賀状が届きますが、現役おさちゃんFCからは、今年が最後なのかもしれません。

おさ&マミシールづくりで明け暮れた2日。
今年、例年より雪が少なくて助かっていますが、除雪作業がなくて体を動かせない・・・やべっ・・・ますます豚になるぅ


●ミニエッセー145「友人のこと7・幼なじみの思い出②」
小学3年から中学1年まで住んでいたR市では、4年から彼女が転校する6年途中まで同じ公務員住宅に住んでいて、同じく西城秀樹さんファンで、よく歌手ごっこをしていた美人のCちゃん(愛称H)、偶然今同じ市内に住んでいるスポーツウーマンのYちゃん(愛称M)、そして母のような温かさのあったT・Mちゃんと仲良しだった。
そして、胸が痛むことがあったKさんのことも思い出される。
まずHとは、自分たちがちびっこ歌手として秀樹さんと同じ世界にいることを想像して、互いの妹たちも一緒にいろんなことをノートに書き合って過ごしていた。何せ公務員住宅のアパートの1階と2階に居たから、どちらが自分の家か分からないくらいだった。
彼女が転校することになった時、私たち自身はもちろん、先生やクラスメートみんなが残念がってくれた。彼女と私は姉妹のように一心同体だったからだ。どうやって自分なりにHとの別れに耐えたのか忘れてしまったが、ほかの友人が支えになってくれたのだと思う。
その一人、元気でリーダー的なMは姉みたいな存在で、中学に進学してからも一緒に合唱部に入って毎日会っていた。私が中学1年で転校してからもずっと手紙や年賀状のやりとりをしていて、不思議なことに、高校生で現在住む街に来てから再会できた。通う高校は別だったが、彼女が先に市内に転校してきており、ご両親が家を建て、お父さん(故人)が単身赴任されていた。
そして、お互い結婚し、なんとすぐそばに住むことになった。さらに、私がよく行っていたコンビニに彼女がアルバイトしていたのだ。私が別の地区に家を購入して引っ越す時、彼女は寂しいと言ってくれた。
ジプシーの私に、同じ街に幼なじみがいるのは心強い。彼女は子供のころから、よく人をほめることができた人で、私は尊敬していた。
T・Mちゃんだけは、R市地元の人で、そこで結婚して幸せにやっている。たくさんのきょうだいの末っ子で、甘えっ子のはずであり、長女の私が引っ張るべきはずだったが、彼女はいつもおおらかに、温かく私を包んでくれていた。心が大人だったのだ。
高校生の時だったか、一度私の住む街に用事で来た際に会った。帰りのバス用の細かいお金がなくて困っていた時、T・Mちゃんが大目に小銭を渡してくれた。「もし落としてしまったりしたら困るでしょ。返さなくていいからね」と。その時の優しさの分を私はまだ何もお返しできていない。いつか会いに行かなければ・・・。
それから、Hが転校した後、代わって転校してきて、私のことを「かっこいい」と男役的に慕ってくれたKさんともずっと仲良くいくはずだった。
中学で私が転校後、ずっとペンフレンドだったが、高校生になって悪い友達ができたようで、彼女は不純な夜遊び、男遊びをするような子に変わってしまった。警察に世話になることもあり、両親に心配をかけていた。その空しさを理解し、救いを求めていたのだろう、私に手紙で「こんなことをしてしまった」と告白してきていた。犯罪行為に加担しているようなこともあった。情けなくて、悲しくてたまらなかった。
将来のために、自分の体をいじめてはいけないと、必死に夜遊びを止めるよう説得し、犯罪行為に対しては勇気を出して警察に行くようにと勧めたが、「男性と暮らすため家を出ました」という手紙を最後に連絡が途絶え、行方が分からなくなってしまった。
もし私がそばにいたら、そんなことはさせていなかった。彼女は根がまじめで、一途で、とにかく寂しがり屋ゆえに他人に影響されやすかったのだ。「自分」というものを持たない子は、友達によって幾らでも変わる。
あれからもう25年近い。Kさんが良い人に出会い、しっかり自分を取り戻し、元気ですてきな大人になっていることを祈るばかりだ。(続く)



【2007/01/03 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(4)
いいなあ、おさ鏡割り
こじちらり

会えばまず最初は愛想のために服従の姿勢でおとなしいコジローさん。妹の愛犬です。舌がチャームポイントです。カメラ目線です。笑。

元旦恒例の大劇場ロビーでの鏡割りイベント、今年はおさ&あやねちゃんだったんですよね・・・いいなあ、行った方は。
2日に行ったというのはあるんですが、元旦に村に行ったことはありません。

甥っ子の一人が高校1年で身長181センチになっていました。こないだまで赤ちゃんだったのになぁ・・・

あー、結局ごろごろしちゃいますなぁ。


●ミニエッセー144「友人のこと6・幼なじみの思い出①」
幼稚園から小学校低学年のころの友達として思い出すのは、T町の名士の娘だったいつも笑顔のY恵ちゃんと私と同じ転勤族の娘だった長い髪とぽっちゃりした姿が浮かぶM子ちゃんのことだ。
どうして3人が仲良くなったのか忘れてしまったが、幼稚園からいつも一緒で、まるで後のキャンディーズのようだったし、親同士も仲が良かった。
Y恵ちゃんのとても上品なお母さんが、私のすぐ下の妹A子をとてもかわいがってくれたので、Y恵ちゃんの家にA子を連れてよく遊びに行ったものだ。
私が小学3年で転校し、4年後の中学1年時に再びT町に帰ってくる間に、末の妹S子が生まれていたので、Y恵ちゃんの家にS子を見せようと2人で訪ねたら、わずか3歳のS子を見て、Y恵ちゃんのお母さんが「まあ、Aちゃん・・・じゃあ、ないわよね」とおっしゃったのが忘れられない。
ところで、幼なじみだったY恵ちゃんとは、再会してからもまた仲良しだったかというと、そうとは言えない。人見知りの私とは違い、Y恵ちゃんは積極的なリーダー的存在の人たちのグループにいたため、特別付き合いが深かったわけではない。
けれども、たとえ話をしなくても、お互いに「幼なじみ」という意識があり、微妙な距離の中でも、ずっと分かり合えていた気がする。公務員となり、キャリアを積んでいるY恵ちゃんは、私の結婚式にも駆け付けてくれ、今も年賀状で近況を報告し合っている。
Y恵ちゃんとは大人になってから会うことが叶ったのだが、残念ながらM子ちゃんとは互いの転校後、音信不通になった。が、親同士の電話で「ある事実」を知ることに・・・。
実は、私の現職場の採用試験を同じ時にM子ちゃんも受けていたということだ。ひょっとしたら、同期として働いていたかもしれないし、私が落ちて彼女が合格していたかもしれない。
採用試験会場には何百人もおり、長年会っていないので気付かなかったとは言え、会いたかった。いや、今でも会いたいと思っている。幸せだろうか。
T町のキャンディーズ―運動会で3人並んで映っているお気に入りの写真を私は、自分の結婚式に「今までの歩み」のスライドとして披露した。(続く)
【2007/01/02 00:00】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(6)
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北海道発・わっちさんの宝塚な日々


北海道の宝塚・ミュージカルフリーク。 特に宝塚OG真琴つばささんと春野寿美礼さんが好きです。 北海道日本ハムファイターズも応援しています。 毎日更新しています。

プロフィール

わっちさん

Author:わっちさん
1964年生まれ。北海道在住。
1991年から宝塚ファンに。
大学職員・雑誌記者から
転身し、2010年4月より
美容アーチストとして
サロン経営をスタート。
ネイリスト・メイクアップ
アーチスト、カラーコーディネーター、
ライターです。

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